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ワンマンツアーを全通した話

【鴉というバンドのマンスリーワンマンツアーを完走したことを振り返っているだけの雑文】

 今年は毎月ワンマンライブを行います――。
 2023年は、そんな宣言とともに幕を開けた。

 鴉というバンドを追いかけるようになって久しい。秋田県を拠点に全国で活動する、スリーピースロックバンドである。インドア派の私をライブハウスにいざない、関西在住の私を秋田遠征に誘い、マイルを爆速で貯めさせた罪なバンドである。

 秋田通いも手慣れてきた2020年、世界が一変した。ライブハウスの扉は閉ざされ、配信画面を見つめる日々が続いた。有観客ライブへの参戦資格を取り戻すことができるまでに、2年近くを要した。

 そして迎えた、2023年。
 それまでの空白を取り戻すかのような密度のスケジュールである。

 私は誓った。
 よろしい。そっちがその気ならば、私も本気でついていく。

 鴉マンスリーワンマンライブ、「激唱ノ月」。
 これは、狂気の毎月ワンマンを全通した、狂気のファンの記録である。

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【1月18日:東京・下北沢 SHELTER 「アラームが鳴り響く」】

 幕開けは、老舗・下北沢SHELTER。某アニメの聖地だそうで、そちらの海外ファンもやってきていたようである。
 私が愛してやまない中に「浅春待ちぼうけ」という曲がある。文字通り春の曲なのだが、これがシングルCDのカップリングという立ち位置で、早い話がレア曲である。
 1月。早春、迎春という。つまり春である。新年早々にこの曲を叩き込まれ、私のマンスリーワンマンは早くも情緒崩壊して始まった。

 ちなみに、ツアーファイナルが初のホールワンマンとなることが発表されたのがこのときのMCであった。2023年を生き抜く理由ができてしまった。この感覚、ライブ好きならきっと解ってもらえると思う。

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【2月18日:秋田・秋田 cafe Brugge 「深雪しんせつに灯る温もり」】

 エレキをアコギに持ち替えた、アコースティック編成でのライブである。曰く、「鴉史上もっとも音が小さいライブ」だそうだ。比較的バラードが多めのセットリストで新鮮に感じたのを覚えている。そして2ヶ月連続の「浅春待ちぼうけ」で見事に硬直した。
 珍しくゲストプレイヤーが参加した回でもあった。ギターボーカルがギターを持たず、ゲストのピアノだけをバックにうたった「愛の歌」は、なんというか、沁みたしひどく痺れた。

 ところでこの日、秋田市内で全国規模の会議が行われていたらしい。歴代秋田遠征の中でトップクラスに宿探しに苦労したのも、駅前でも空港でもやたらと関西弁を耳にして「関西人マジでうるせぇな!」と我が身を省みたのも、今となっては良い思い出である。

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【3月19日:秋田・由利本荘ゆりほんじょう River Road 「繋いだ余韻をめくる時」】

 ライブハウス、ではなく、ライブレストランでの開催である。そんなことなどお構いなしの、がっつりバンド編成で愉快であった。会場史上最大の爆音だったそうである。
 音源化されていない楽曲が、コロナ禍の間に随分増えていた。その中の1曲「綱渡つなわたリサ」が久しぶりに演奏されたのがこの日である。聴きたかった曲だけに大歓喜であった。

 この回は収録されていて、期間限定でアーカイブの販売があった。後日購入して見たところ、3ヶ月目の「浅春待ちぼうけ」が始まった瞬間に判りやすくよろめいた私の姿がしっかりと記録されていた。人間はあまりに繊細である。

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【4月30日:秋田・能代のしろ Gigs&Bar Witch 「新たなる過去へ」】

 4月といっても30日である。世間はゴールデンウイークだ。確か航空券がいちばん高かったのがこの回だったように記憶している。
 秋田県能代市にあるライブバーである。私にとって思い出のハコだ。コロナ禍が始まって以降初めて、秋田県外民を受け入れてのワンマンが行われた会場である。そういうハコが改めて各地の民で盛り上がったというのは、なんというか、じんとくるものがあった。

 この日の特筆は「舞台裏」である。およそ7年ぶりにライブで演奏されたそうだ。7年前といえば、私が鴉のライブに行きはじめたばかりの頃である。振り返ってみたところ、確かに当時の参戦記録に「舞台裏」がメモされていた。あれから7年。同じバンドを追い続けてガチ勢に育つなどと、当時の自分は想像もしていなかったと思う。

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【5月27日:秋田・大曲おおまがり UN REVE 「実りを信じて歌がある」】

 花火の町、大曲である。春の曲と夏の曲が混在した贅沢なセットリストであった。

 前々から聴きたいと訴えていた曲が2曲採用され、私は歓喜を通り越して思考停止していた。拳をあげる代わりに幽鬼のごとく揺れていたことを辛うじて覚えている。大好きな曲がライブで演奏されたときの反応、というのは人それぞれだと思うのだが、私の場合は大抵崩れ落ちて硬直する。たぶん、なにが起きたか解っていないのだと思う。
 夏にちなんで「夏色」、花火の打ち上げ場所にちなんで「河川敷」。「河川敷」が始まる前、突然、歌詞とは関係無い「どっこいしょーどっこいしょ」というコール&レスポンスが始まって面白がっていたのだが、たぶんあれは、竿燈かんとうまつりの掛け声だった。そういう、地元ならではを感じられる一幕もあった。

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【6月25日:秋田・男鹿おが MARCY BASE 「雨は悲しみに寄り添う」】

 ライブバーでの開催であった。お洒落で立派な椅子がしつらえてあったのだが、危うくそれを蹴散らかすところであった。基本的に私は足癖が悪いというか、リズムを足で取りがちである。

 梅雨の時期ということで雨の歌が詰められていた。その中に、「雨ノアト」という曲がある。シングル「覚醒」のカップリングなのだが、なにを隠そう、私が初めて行った鴉のライブが、この「覚醒」のリリースツアーだった。めったに演奏されない曲であり、そういう意味でも感慨深い日であった。

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【7月17日:愛知・名古屋 LIVE HOUSE CIRCUS 「激しく眩く儚い」】

 名古屋が東日本なのか西日本なのかは判断が分かれるらしい。私は西日本だと思っている。
 鴉が約4年ぶりに、東京を越えて西にやってきた。私は名古屋民というわけではないのだが、同じ西日本勢として心から待っていたライブであった。それにしても、東北秋田から久しぶりに名古屋に来るというのに、選んだ季節が灼熱地獄。なかなか攻めるよなぁと思っていたら、そういえば彼らは雪真っ盛りの時期に秋田ワンマンを断行するようなバンドであった。妙に納得した。

 7月、秋田県では豪雨災害があった。床下浸水の被害に遭ったメンバーもいた。ライブがあったのは、まさにこの雨の直後である。そんな中でも彼らが名古屋にまで来てくれたということに深く感謝した。
 ライブの翌日からは、豪雨災害への寄付のため、1曲入りCD「チャリティー盤」の販売が始まったことを書き添えておく。

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【8月20日:大阪・福島 LIVE SQUARE 2nd LINE 「前進だけが陽炎を解く」】

 3年9ヶ月ぶりの大阪である。関西人の私が待ちに待っていたライブであった。
 想像してほしい。ライブが無観客配信になったのち、秋田県内民のみ現地参加可能な有観客になり、県外民の参加が認められ、更にバンド側が東京でのライブを敢行し、名古屋を経由し、そして大阪へ戻ってくるまでの、3年9ヶ月である。のみならず、このときのMCでは、年内にもう一度大阪と名古屋でワンマンがあると宣言された。

 正統派のセットリスト。最高に格好良かった。
 私は終演後泣き崩れた。それはもう、引くほど泣いていた。それがすべてである。

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【9月12日:東京・下北沢 SHELTER 「不意に優しくさよなら滲む」】

 今年2回目の東京である。まだまだ真夏が終わらない9月半ば、それでもセットリストには秋の気配が漂っていた。大好きな秋の曲「楓」が始まった瞬間、私は綺麗に崩れ落ちていた。垂直落下という表現が適切である。
 この日は平日で、夜行バスで帰宅するという弾丸遠征だった。時間の都合で終演後はあまりゆっくりできなかったのだが、ライブのほうはダブルアンコールまでたっぷりと堪能できて幸せだった。

 この日、ギターボーカル足元のセットリストがなぜか半紙に書かれているという珍事があった。やむを得ない事情があったとかなかったとかいう話だが、それにしたってじわじわと面白い。紙が軽やかにひらめくさまが気になって仕方がなかった。

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【10月20日:宮城・仙台 FLYING SON 「枯れる前に放て色」】

 仙台でのワンマンはなんと10年ぶりだったそうだ。2013年の、アルバム「終繕しゅうぜん」リリースツアー以来とのことである。私が鴉を知ったのは2014年のことなので、それより前というのだから恐れ入る。オープニングアクトに仙台のミュージシャンが参戦するという豪華仕様であった。

 MCで「仙台、お待たせしました」と語った直後の「風のメロディ」はぐっときた。なにせ歌い出しが「ずっと待ってるよ」である。これはずるい。
 本編セットリストも一味違っていた。久しぶりの「未知標ミチシルベ」から始まったり、アルバム「終繕」の曲が多く演奏されたり、後半にいくにつれて最近の曲が増えていったり。10年前から現在までを繋いでいくような感覚であった。

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【10月28日:秋田・大館おおだて ROCK INN LINDA LINDA 「澄んだ空は裏切りの合図」】

 毎月ワンマンと聞いてはいたが、月に2回やるとは聞いていない。急遽開催が決まったらしいこの大館が、私の歴代最大遠征距離を更新した。脅威の、片道7時間である。いや、7時間掛けてまで行く私のほうがどうかしているのだ、この場合。秋田といえばきりたんぽ鍋が有名だが、大館はその本場だそうである。ライブ前に食べたきりたんぽは感動するほど美味しかった。

 この日、完全に想定外の「浅春待ちぼうけ」を浴びせられた。秋真っ盛りだというのに致死量の春である。小さな会場の最前だったのでゼロ距離である。終演後の私は「どうして?」とうわごとのように繰り返していた。冗談か怪談のようだがただの事実である。ゼロ距離で人間に崩れ落ちられるというのはどういう気分なのか、ちょっとメンバーに訊いてみたくもある。

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【11月1日:大阪・福島 LIVE SQUARE 2nd LINE 「今こそ足掻け後悔よ」】

 11月は西日本編。この月も、ワンマンが2回行われた。
 8月ぶりの大阪である。平日だったのでスーツで参戦したところ、友人にえらく珍しがられた。仕事帰りにライブに行ける、というのは良いものである。それはつまり、自分の生活圏内にライブがあるということだ。当日の退勤時間や翌日の出勤時間を気にしながらも一旦全部忘れて音楽を浴びるというのは、それはそれで幸せなことである。
 曰く、「鴉史上もっともマイナーなセトリ」だそうである。そんなセトリを秋田からいちばん離れた大阪でやってのけるのが彼ららしいといえば彼ららしいと愉快だった。

 愉快といえば、ツアー終盤の10月に至ってようやくツアーTシャツが作られたことも大変愉快だった。そういうところが好きである。

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【11月23日:愛知・名古屋 LIVE HOUSE CIRCUS 「一刻の猶予」】

 7月ぶりの名古屋、セミファイナルである。もちろんツアーTシャツで正装して臨んだ。背中に、この1年間のツアースケジュールが刻まれている。この1年を全部背負って臨むのだと思うと無性に嬉しかった。
 1曲目から「傷心同盟」、超レア曲をぶつけられて動揺した。これに留まらず、レア曲久々曲が随所に散りばめられたファン垂涎のセットリストである。ファイナル前になんということをしてくれたのか。まさかのB面スペシャルであった。

 この1年、あちこちへ遠征しまくっていたため、もう名古屋程度では遠征だと感じなくなってしまっていた。せっかくMCで「遠くからも来てくれてありがとう!」と言われても、半ば他人事に感じてしまうのはもう面白いと思う。新幹線で来たのだから、はたから見れば立派な遠征勢である。

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【12月20日:秋田・秋田 あきた芸術劇場ミルハス 「充実がやっと君を眠らせる」】

 迎えたファイナル。鴉初のホールワンマンである。昨年オープンしたばかりの綺麗なコンサートホールだ。
 いつもと同じライブ。でも、いつもよりずっと大きな会場。ロビーに飾られたフラワースタンドも、物販コーナーに掲げられたフラッグも、否が応でもテンションを高める。馴染みのファン仲間やゆかりの人々が続々と集い、客席はちょっとした同窓会状態であった。

 オープニング冒頭。これまでのライブタイトルを、1月から順番に読み上げていく。思い出が走馬灯のように蘇り、辿り着いた12月。最後のタイトルは「充実がやっと君を眠らせる」。私はここに、幸せな1年を眠りにきたのだ。
 大きなステージに立つ鴉は眩しかった。
 天井も高いし、ステージも客席も広い。見慣れたライブハウスよりずっとずっと大きな空間も、圧倒的な声と音が響いて満たしていた。私はこれが見たくて聴きたくてここまで来たのだ、と思うと堪らなかった。だってつい2年前までは、配信ライブの画面を見つめることしかできなかったのだから。
 定番曲に、いつものコール&レスポンス。ホールならではのドラマティックな演出に、久しぶりに演奏する曲。途中でゲストプレイヤーのピアノが加わり、音に厚みが増した。

 アンコールは珍しくバラードだった。
「これからも歩いて会いに来てください」
「来たくても来られなかった人まで届くように」
 ひときわ声を張り上げたMCのあと始まった、「待っていてください」。こみ上げるものを抑えられず、バラードにもかかわらずサビで手を挙げていた。

 終演後、客席をバックにステージからの記念撮影。そんなことが叶うなんて夢みたいだった。SNSにアップされた写真を見ると、タオルをめいっぱいに広げた私が笑顔で写っていた。

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 1月から始まって12月まで、ワンマンだけで計14本。対バンイベントや弾き語りソロも含めると、全部で26本。私の2023年はこうして終わった。

 けれど、鴉はまだまだ終わらない。
 ファイナルのMCで、来年は久しぶりに音源を作ろうと宣言された。恐らくすべての鴉ファンが待ちわびていた言葉だったと思う。なにしろコロナ禍の間にも新曲が次々に生まれ、音源化しないうちにすっかりライブの定番曲となったのだ。あの曲もこの曲も、手元に置きたくて堪らない。
 待つのは得意だ。その先にあるのが希望ならば、なおのこと。

 彼らが進む限り、私も全力で応えるつもりである。
 だからそのために、今は少しだけ、眠ることにする。
 充実を胸に、幸せな眠りである。

 余談だが、この14本のライブを全通した仲間がもうひとりいる。戦友だと思っている。

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