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Twitterの使い方

時間があれば、通知が来ていなくてもSNSを開いてしまう、中毒気味。
中学3年生の頃に始めたTwitterは、一時期ツイ廃とも呼べる程に没頭していた。

面と向かって他人と関わると、異常なほどに体力を消耗してしまう私にとって、SNSでの交流は気軽に楽しめるものであった。今もそうだ。
文字を書くのは好き。読むのも好き。
共通の趣味の人と簡単に繋がれるSNSは、リアルな世界よりも友達を作りやすい。
それが本当の友達か否かは置いておいて。
ちょっと時間があるときに好きな話で盛り上がれる相手がいるのは、楽しい。

文字のみの関係は、人によっては希薄で危険に感じるかもしれない。
実際に、リアルな世界では絶対に口にしないような、セクハラDMを送られたこともある。
でも、顔も名前もわからないからこそ、あっさりブロックできるし、登録が簡単だからこそ、あっさり退会できる。
そういうのは、避ければいい。

大学生になってからは、Twitter上で出会った人とリアルで会うようにもなった。
所謂オフ会だ。
文字の方が気楽だろう
顔を合わせたらやっぱり疲れるだろう
毎回会う前はそう思ってドタキャンしようとするのだけれど、会ってみれば結構楽しい。
もちろん楽しくない人もいる笑

Twitterを通して、哲学仲間、旅仲間、イギリス仲間、そしてライティングを始めるきっかけになった、ライターの先輩に出会うことができた。
もしTwitterユーザーでなかったら、私は未だ家も仕事も決まらず異国の地で沈んでいたかもしれない。
なにか収入を得られることを始めたいと考えながらも、何もできずアルバイト三昧だったかもしれない。

私にとってTwitterは、リアル以上に人と繋がりやすい場所。
大切な出会いと発見を得られる場所。


最近、Twitterの世界が変化しつつある。
140字いっぱいいっぱいに、改行と箇条書きで情報発信を行うアカウントが増えた。
フォロワーを増やすためのHow toがバズり、「1ヵ月でこんなにフォロワーが増えた!」と呟けば賞賛される。
有益な情報を発信することに重きを置かれるようになり、「1日30ツイートするのは大変」なんて言葉も見かける。
1日何百ツイートもして規制にかかり、規制垢なんてものも存在していた時代は、遠い昔のようだ。

日常の愚痴や鬱をツイートすると、とんちんかんな方向から批判のリプが降って来たり、もっとポジティブになった方がいいよなんて、善意の押し付けを食らったりする。
Tweetっていうのは、「呟き」なわけで、ちょっとした独り言なんかも自由に勝手に外に出せる、気楽なものではなかったのか。

「あれが嫌い」といえば、「差別だ」とたたかれ、「これはこうだ」と自己流の解釈を述べれば、「こういう考え方もあるので改めてください」と突っ込まれる。
いやいや、自由に思ったこと述べてるだけだし、人それぞれじゃん。
タバコが嫌いな奴は勝手に嫌えばいいし、好きな奴は勝手に吸ってればいい。

そんな感じで、Twitterは、最近とっても使いにくい。
そこで得られる出会いと発見を失いたくはないので、辞めたくはない。
ツイートしにくい、他人のツイートに変なリプがぶら下がってるのはあまり見たくない。
箇条書きの、誰でも書けるような情報なんて必要ない。
自己ブランディングとか、差別化とかで、自分の情報を押し出している人も、ほんの一握りを除けば、わざわざ発信するほどの内容ではなくないか?と疑問に感じてしまうツイートばかり。

「お腹すいたー、今日何食べよう」とか、「今日寒いから外出たくなーい」とか、「好きな作家さんの新刊買ったー」とか、日記に書くような内容でいいじゃん。
そういうツイート、しにくい世界になったよね。
「小腹が空いたときに手軽に作れる間食レシピ」とか、「今日の気温は〇度。このコーディネートがぴったり」とか、「〇〇さんの新刊を買った。要点をまとめてみると~(箇条書き)」とか、そういうのがいいんだよね、最近は。
有益かどうかが重要視されちゃって、個人的な、その人の生活は、消えていく。

って話を、最近Twitter始めたばかりの人にしたら、
「え、じゃあTwitter辞めれば?」
って反応が返ってきた。
そっか、そうだよな、時代は変わる。
フォロワー稼ぎとか箇条書きとか改行と余白とか、そういうのが楽しいって人のツールに変化したんだね。

私は何も、情報発信系のアカウントが悪いといいたいわけではない。
オーディエンスのために
フォロワーの要望に応えて
纏められた情報が苦手なんだ。
見られることを意識するあまり、「その人」がツイートしなくてもいいのではと思ってしまうような、個性のない箇条書きが蔓延するのが、哀しいのだ。

個人的なツイートをしていたら、それが誰かにとっては有益で、フォロワーが増えた
経験を率直に呟いたら、大勢から反応がもらえた

他人からの評価は、第一の目的ではなくて、ただただ自分の思ったことを打ち込んでいたら、副産物的に人と繋がれる
そういうTwitterが好きだなあという話。

ブロックとかミュートとか、使ったことはなかったのだけれど、これからは薄っぺらい情報系アカウントをTLから消すために活用していこうと思う。

私は勝手に、私の日常を垂れ流すから、あなたも勝手に、情報整理に勤しんでくれ。

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