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響くことば

“呼んでいる胸のどこか奥で
いつもこころおどる夢を見たい
哀しみは数え切れないけれど
その向こうできっとあなたに会える”

必ずどこかで聴いたことがあると思います。
ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』です。

私はこの歌詞がとても好きで、何パターンもレ○チョクからダウンロードしていつも口ずさんでいます。

※※※※

呼んでいる胸のどこか奥で
いつもこころおどる夢を見たい
哀しみは数え切れないけれど
その向こうできっとあなたに会える

繰り返す過ちの
その度ひとは
ただ 青い空の青さを知る
果てしなく道は続いて見えるけれど
この両手はひかりを抱ける

さよならのときの静かな胸
ゼロになるからだが耳を澄ませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街もみんな同じ

呼んでいる胸のどこか奥で
いつも何度でも夢を描こう
哀しみ数を言い尽くすより
おなじくちびるでそっと歌おう

閉じてゆく想い出の そのなかにいつも
忘れたくない囁きを聴く
粉々に砕かれた
鏡の上にも新しい景色が映される…

はじまりの朝の静かな窓
ゼロになるからだ満たされてゆけ
海の彼方にはもう探さない
輝くものは いつもここに
私のなかに見つけられたから

※※※※

本当の歌詞は漢字が違ったりするのですが、私にとってしっくりくる漢字や仮名をあてるとこの表記になります。

最初この曲を聴くようになった時期は今からちょうど3年前でした。

いまこの曲は私にとっての『おちび探し』『おちびいること確認』の曲です。

私がインナーチャイルドというものに気がついたのは2年前でした。
ただ、なんなくボンヤリ『ちっちゃい頃、辛かったな』『可哀想だったな』と思ったくらいでした。

インナーチャイルドのことを私は愛情を込めて『おちび』とか『ちび〇〇』(〇〇←自分の名前)と呼んでいます。

去年、菊池真理子さんの『毒親サバイバル』を読んで「自分バージョン描いてみよう!」と漫画を描きました。
すると『おちび』が目に見えるかたちというか可視化できちゃったわけです。

この『おちび』がまた健気で…

自分がかつて置かれていた状況を漫画に描き起こしたことが、はっきりとした輪郭を持つインナーチャイルドとの出逢いと対話になったんです。
漫画だとちっちゃい頃の自分と会話できるんですよ。

この漫画では成人した革ジャン女がお下げ髪の小さな女の子を抱きしめて、いっぱい泣きます。
ごめんね
助けに来るのが遅くなってごめんね。
そう言って女の子を抱きしめます。

あ、だめだ。また泣けてきた。



この『いつも何度でも』で歌われる「呼んでいるなにか」は私にとっては「おちび」なのでしょう。
『きっと会える』あなたは「おちび」のことです。

哀しみの数を言い尽くすより
おなじくちびるでそっと歌う…ようにしています。

おかげさまで楽しく生活しています。

私が一番好きな箇所が
『粉々に砕かれた鏡の上にも
新しい景色が映される』
という節です。

私自身がぐちゃぐちゃに割られた鏡だと思っていましたが、考え方が変わりました。
『失敗作の娘』という押し付けられた役割が鏡で、その鏡を私は自分の手で割ったのです。
緊急家出(笑)でぶち割りました。
いまあるものを自分でぶっ壊したら、また別のなにかが手に入る。
ただ、それだけ。

それに、以前の解釈通りに「ぐちゃぐちゃに割られた鏡は私のことだ」としても、そこに何かすてきなものが映っていたのかもしれないなと。
もしかしたら「ちょっとラクになった未来」が映っていたかもしれませんし。


今の私にとってこの『いつも何度でも』は、幼い頃の自分をしっかり抱きしめてやっているからこそ、こころに響く歌です。

タイトル画像は自作の漫画のワンシーンです。

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