セルフコンパッション継続中…で気づいたこと。
セルフコンパッションの教科書みたいなものをまだ粘り強く継続しているのですが…。
一つ気づいたことがありました。
たまに「紙とペンを用意してやってみましょう」みたいな課題が書かれたページがあるため、素直にやってみるのです。
…が、
「❝私は❞の部分に
❝〇〇は❞とか
❝〇〇ちゃんは❞みたいに
自分の名前を入れても構いません」
と説明書きがあったりするんですね。
それがどうにも引っ掛かりました。
私は自分を名前で呼んだりしません。
ただ、ひっかかりは「呼び方について」ではなく自分自身の名前に「恐怖体験がセットになっている」ことに気づいてしまったことでした。
〇〇、〇〇、〇〇…
自分で自分を呼ぶとちょっとゾワッとします。
恐らくは自分が名前を呼ばれるときは怒鳴られるときと相場が決まっていたからでしょう。
何か恐ろしいことが起こりそうな気がする…と、身体が身構えてしまっていました。
じゃあ、名字ならどうかといえば「収容所の名前」みたいで書くのもウンザリ(苦笑)。
とにかく、私は自分の氏名に「しっくり来ない」を通り越した「恐怖体験との紐づけ済みワード」という認識をしてしまっていることに気づきました。
実は年末に人から訊かれました。
私の名前の由来を。
私の名前は漢字で書いたときに「男が寄り付かない最強の女になる画数」で構成されています。
オヤがそれを願ったからです。
ソボは別の名前を提案してオヤと大喧嘩をしたらしいのですが、ソボが提案した名前は「必ず故郷へ帰って来る子になるように」という願いが込められた名前でした。
私の名付けには「この赤ちゃんが幸せになりますように」ではなく「この赤ちゃんがオヤ(又はソボ)にとって好ましい子になりますように」という欲望だけがはたらいていました。
はてはて、カレラの願いは叶ったのだか叶わなかったのだか…
これからもワークをするときは、やはり「私は」で行っていきます。
自分の名前はいのちの名前ではない。
以前そんなことを書きましたが、この気づきで「自分の名前すらも引き金もどきか」「私は私でいい」「私の呼称は私だ」と確定しました。
市役所が苦手な理由も半分はコレかもしれませんね。
名前、何度も書かされますものね😅
セルフコンパッションはまだまだ練習中です。
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