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いじめ問題〜学校におけるいじめ〜

  いじめは現代の教育問題のなかで、もっとも多くの人が直接経験したことのある問題であろう。小・中・高校で1度も身近でいじめが起こったことがない人は少ないと思われる。


いじめを定義するならば、「同じ集団内における相互作用過程においてなんらかの意味で優位に立つ者が、劣位にある者に対して継続的に精神的、身体的攻撃を加えたり、排除したりすること」となるだろう。


いじめとは同じ集団(クラスや友だちグルーブ、部活動、会社の部課など)に属するメンバー同士のあいだで起こるものであり、そこで力のある者や立場の強い者が、力のない者や立場の弱い者に対して、一定期間以上にわたって攻撃をくりかえすことである。

   現在いじめといえば、ほとんどが学校で子どもたちのあいだに起きるものを指すが、上で書いた定義に当てはまる現象はもっと普遍的に存在する。歴史的にも、日本の村落共同体で行われていた「村八分」や、中世から近代にかけてヨーロッパやアメリカで起こった「魔女狩り」などは、広い意味でのいじめのひとつの形態である。


こうした現象が生じるのは、集団がなんらかの意味で危機にひんしたとき、あるターゲットを生けにえのように攻撃することで集団のまとまりを高めるためだという説明がある。こうした条件がそろえば、いじめに類似した現象は比較的簡単に生じるようだ。


   いじめが重大な教育問題とされるようになったのは1980年代からである。この時期、いじめられていることを苦にして子どもが自殺した事件が報道され、いじめが死を招くケースがあることが知られるようになった。それまでいじめは、もちろんほめられるようなことではないものの、子どもの世界にはよくあるいざこざであり、特に問題視したり、大人が介入するようなこととは考えられていなかったが、これ以降、あってはならない問題、なくさなければならない問題と位置づけられるようになった。



また、これ以前には「いじめ」という言葉も使われていなかった。「いじめる」という動詞は古くからあったが、「いじめ」という名前は1980年代に問題化してから使われるようになった。いじめが問題化することで、「いじめ対策」「いじめ予防」といった表現のために、いじめる行為を名指す名詞が必要になったためであると考える。

   いじめは昔からあった現象だが、それに対する社会の見方、まなざしは1980年頃から大きく変わった。学校でのいじめの発生件数の統計も、1980年代以降から文科省がとり続けているが、この数値は大きく変動している。


これは、いじめという現象の性質と関連している。いじめは前述のように定義することはできるが、個々の事例が定義に当てはまるかどうかを判別するのはかんたんなことではない。いじめとも言えるし、いじめでないとも言えるような、ボーダーラインがむずかしい事例が実際にはたくさんある。



   また、いじめはそもそも隠れて行われるものであり、すべてを見通すのは困難である。したがって、いじめがどれだけ見えるかは、どれだけ見ようとするかによって変化する。



いじめに対する問題意識が高まり、ささいなケースでも発見して対処しようという姿勢で臨めば、より多くのいじめが発見され、統計上の件数は増えるし、無関心であれば少なくなる。


1980年代後半には「いじめ自殺」の報道が減り、いじめは沈静化したと考えられた。しかしその後も1990年代中盤、2000年代中ごろと約10年おきに問題化し、その度に統計上の数値は増えた。これは、問題化したことでいじめを見るまなざしがするどくなったり、文科省がいじめの定義を拡大して、より多くのケース。報告するような学校にうながしたことの影響と見ることができる。

    学校でのいじめは、それが問題化する以前は、いじめる側=「いじめっ子」と、いじめられる側=「いじめられっ子」それぞれのパーソナリティの問題と見られていた。


しかし、現代のいじめを見る際に、加害者/被害者のパーソナリティに原因を求める見方は一般的でなくなり、いじめはそれが発生する集団の問題だとする見方が広がってきた。


    こうした見方の代表的なものが、教育専門家たちが唱えた、いじめの「四層構造論」である。これは、いじめる加害者、被害者の2者に加えて、いじめに直接は加わらないがまわりではやし立て、いじめを助長している層=「観衆」、はやし立てはしないが、見て見ぬふりをしていじめを止められない層=「傍観者」をふくめ、計4つの層からなっていると見る。



この見方では、いじめが起こっている集団では全員がなんらかのカタチでいじめに関わっていることになる。



このようにいじめを構造的に見ることが可能になったし、いじめに対するまなざしは鋭敏化している。にもかかわらず、いじめの実態はほとんど変わっていないようである。自殺の有無や増減にかかわらず、いじめが子どもたちのあいだで数多く起こっているのはずっと変わらない事実であり、われわれはまだそれに対する有効な手立てを見出さていない。

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