見出し画像

読書日記その548 「ロシアについて 北方の原形」


「外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰」

司馬遼太郎「ロシアについて」

これは司馬リョウ先生のロシア評だ。そして現在のロシアにもあてはまるようにも思える。本書を読むと、これらロシア人の性質の根底にあるのは、遊牧民族や西洋人による侵攻・虐殺という歴史の積み重ねからきてることがよくわかる。

ロシア人が東方シベリアの遊牧民族を制圧したのは16世紀に入ってから、イヴァン4世の時代だ。きっかけは小銃の発達である。それまでは馬上から弓を放つのが主流だったのを、イヴァン4世は小銃に変えたのだ。

騎馬隊の弓に対して小銃を連続して撃つ。もはや勝敗は言わずもがな。このとき日本は戦国時代、織田信長と同じ時期にあたる。偶然にもイヴァン4世と織田信長は同じ時期に同じような戦の革命をおこしたのだ。ロシアは強国と云われるが、文明の進み具合は日本と同じくらいのような印象だ。あくまで印象として。

これまでのロシアの国土は西のウラル山脈までで、広さとしてはインドと同じくらいだったのが、銃を用いたことによって一気に東方シベリアへ拡大していく。つぎつぎと先住民や遊牧民を制圧していき、東の端に達したのは1648年(江戸時代初期)。

そこから南下し、千島列島のすぐ北にあるカムチャッカ半島を制圧したのが1700年ころ(江戸時代中期)。つまりロシアの国土が膨れあがったのは、なんと日本の江戸時代に入ってからのことなのだ。もっと古くからだと勝手に思っていたボクは、ロシアの歴史が意外と浅いことにおどろく。

ところがここで、ロシアは国土が広くなったことによって、大きな問題をかかえることになる。物資の輸送だ。日本が江戸期に北前船による精密な輸送を確立していたとき、ロシアは陸路を馬のみで東の端から西の端まで物資を運んでいたのだ。なんとまぁッ。通常は馬車、そして冬はソリ。北は凍って港がつくれないため、舟運による輸送が不可能だったのだ。

馬では輸送量に限界がある。そのためシベリアの人々は慢性的な食料不足で、たえず飢えとのたたかいだったという。そこでロシアは日本から食料を輸入しようと何度も試みたようだが、日本は鎖国政策をとっていたため、対応はつれないものだったようだ。

「江戸期の日本を北方からおびやかして、日本人に対露恐怖心を植えつけるもとになったものは、はたしてロシアの本質そのものなのか、それとも露米会社のなりふりかまわぬ活動が当時の日本人や私どもの歴史学者を幻惑させて、それがロシアの本質として印象されたのか、あるいは二者不離のものなのか、このあたりはなお両国の多くの歴史学者によって精密に検討されねばならない」

司馬遼太郎「ロシアについて」

つまりこうである。よく幕末の日本ではロシアの脅威があったと云われるが、はたしてそれが本当にロシアの本質だったのか、それとも当時の日本人がロシア人の言動から勝手に脅威と感じただけなのか、再度検討しなければならないと、司馬リョウ先生は言う。

個人的には、ロシアの東方は飢えに苦しむほど貧困にあえいでいたことを考えると、こりゃとても日本に侵攻するような状態とは思えないのだが、どうなのだろ。

ともあれ、ロシアはシベリアという、本国よりもはるかに広い領土を得てしまったがために、国家存続に影響するほど困難な統治をはかることとなる。そういや日本も秀吉の時代に朝鮮へと渡った。しかしこのときは、日本海という障壁と、その先に明という大国があったため、当時の日本の国力ではとても統治できるものではなく、すぐに撤退することになる。

その点でロシアの東方は、陸続きなうえに大国もない。障壁となるものがなかったがゆえに、持ち合わせている国力以上の国土を得てしまったように思える。

そして大国を維持するため、外敵から侵略されまいと虚勢を張ってるようにも思え、どこか哀しさを覚える印象だ。そんなロシアの歴史に、ボクはますます興味が湧いてくるんだな。うん、おもしろかったッ。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?