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繋がりの断捨離┃相対性理論と分断に関する考察

小さな祖国=故郷(ローヂナ)こそが、大きな祖国より大きいのである。
――ヴェチェスラフ・カザケーヴィチ

"故郷"はどこにあるのか

私のローヂナは、間違いなく"我が家"だ。
母の命令は絶対だが、国家元首に直接命令されたってきかないし……とかいうことでなく、
"自国"がなくなったことのない私には想像がつきにくいが、国というものはなくなるからだ。国は不滅ではなく、元首も変わる。
しかし、我が家で過ごした日々と信頼、それは不変・不滅の時空と空間なのである。

家で過ごした日々ということは、日本という土地で暮らした日々と同義ではないかと言われてしまうかもしれないけど、全く違う。日本で暮らしていることを実感するのは、日本を出た時だ。

故郷というのは、物理的な土地を指すようでいて、実際には、たいていが過去、すなわち心の中にあるもので、また、そのときの自分のいる場所によって相対的にも変化するのだ。

モノから派生した抽象概念は、モノとは違う

国は有限だが、母国は無限。
家の外よりも、内のほうが広く、
他人よりも、自己のほうが底なしだ。
地図上でしか見たことない国と、隅から隅まで何でも知ってる地元の町と、どっちが"広い"だろうか?
精神からみた世界は、しばしば物理と反対の性質をもつ。
”internet”も物理的に言えば、たった数十センチ、今となっては数センチ四方の世界だ。

繋がりの物理的な狭さと、精神的な狭さは別の次元であり、
広いか狭いかは認識次第で、自由自在に変えられる。
精神世界には、相対のものさししかないのだから。
それが精神上の相対性理論。

相対性理論の迷宮

ややこしい社会問題は、総じて相対的だ。
しかも物理と精神が入り交じってごちゃ混ぜになっている。
だからややこしいのだろうけど。

世界全体の平和と、
自国の平和と、
自分の生活範囲の平和と、
我が家の平和と、
自分の平和が、
対立するとき、私は一体何を守ればいいのだろうね?

当事者意識、という言葉がある。しばしば批判的な意味で使われる。
しかし、実感のない世界の問題に、何か言えることがあるだろうか。自分の経験のなかから似たようなものを探して想像するか、机上で正論を導き出して何か言うべきなのだろうか?
当事者意識をもって問題解決にあたることは大事だけれど、
当事者じゃないのに当事者意識を持つことの違和感はどうすればいい?
…そもそも、どこまでが当事者で当事者じゃないのだろうね。
だからといって個人を排除して抽象化した問題に、どこまで本気で取り組めるだろう。
自分に降りかかる問題と同程度に取り扱えるだろうか。
…そもそも自分に関係あるとない、の境目はどこだろうね。
"自分に関係のない問題はない"とすれば、生態系、地球、宇宙のことまで考えなくちゃならなくなり、最終的に人類は滅びる。

精神的相対性理論の問題は人間の居る限り続いている。
というより、全ての”問題”は、相対性の問題なのだ。

エカテリーナ2世は啓蒙思想に心酔したが、晩年に自らの立場ゆえにそれを否定し「パン屋に政治が分かるものか」と言ったらしい。
それもそうで、政治家が美味しいパンを焼けるはずないのだから、パン屋も上手い政治はできるはずないのだろう。
ならばこうとも言える「政治にパン屋のことが分かるものか」。

ごく普通の国民になったことのない人が、国民のためにする政治。
よくわからない政治というものの下で国民として国のために生きていく人。
想像上の"国民"のための政治。"政治"と"法"で成り立つ国に所属して暮らす"政治"も"法"も知らぬ"国民"。
お互い何のために存在しているの?
結局、全ての抽象概念は、人間のためには存在していないのだろう。

どんなに頑張っても、他人にはなれず、
経験しないと「解からない」ものは多い。
努力とか勉強が足りないという話ではなく、
想像と現実、言葉と実感は別のものだ。
目に見える世界と、見えない世界は全く相貌が異なる。
ごちゃ混ぜにしてはいけない。

相応の分断

戦争も、炎上も、敵も味方も。
精神的な相対性によるもの。
相対性理論に気付けば、敵も味方もなくなる。
みんな敵で、みんな仲間だ。

物理世界では地球は1つしかなく、大地は有限で、私たちはそれをいかに小さくしようかと努力してきた。
今やごく簡単に1周できるサイズ。
けれど、精神は無限で、世界は無数にある。
それに気づかず、物理世界と精神世界を混同して、同じように小さくしようとして、広げすぎたんじゃないかしら?

物理と精神とを混同しなければ、分断は平和と幸福をもたらすものになるのかもしれない。

モノの断捨離はある程度浸透したから、
次は、コトの断捨離だね。

広く小さなコミュニティで生きていきたい、ほかるより。


参考文献:
ヴェチェスラフ・カザケーヴィチ『落日礼讃―ロシアの言葉をめぐる十章』(太田 正一 (翻訳))
平野啓一郎『決壊』
池田 理代子『女帝エカテリーナ』

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