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大人になるということ

我々は常に文化に支配されている。

「大人げない」「子どもじみた」。
たいていネガティブな文脈で使われる言葉だが、それが私に対し放たれた時、私は両手を挙げて喜ぶ。いえーい。
「まったく、ガキみたいなことするな」って貴方は怒るかしら?

さて、では「大人」の必要条件とは何であろうか?
「子ども」はいつ「大人」になるのだろう?

とうに議論は尽くされてきたであろうこの問題を、文化比較を通じて考えてみよう。

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まず、アメリカでは、子ども時代というのは、人生で最も不自由な時間である。
食べるものすらも決められ、健康にいいからと食べたくないものを食べさせられる。

一方、日本では、子ども時代は人生で最も自由な時間なのだ。
時に甘やかされ、おやつを食べ、上下関係・男女の別なく遊び、タメ語で誰とでも友達になれる。

どちらも同じではないか、と思うかもしれない。毎日労働せずに遊べ、誰とでも仲良くなれるが、健康や安全のために行動を制限される。きっと、子どもたちの行動に、文化的な差異はあまりないのだろう。
そう、見方の問題なのだ。アメリカ人にとって、健康に良いとかそれが愛ゆえだとしても、不自由な身だと感じる状況には変わりがなく、日本人にとっては、経験の浅さゆえに先人から行動を制限されることはあるが、基本的には自由に、好きなように、何をしてもいい状態と捉える。

つまり、アメリカでいう完成された人というのは「自立」した大人、ということになる。自由を獲得していく、それが成長なのだ。自分の力で稼ぎ、したいことをする。

ところが日本では、「自律」できる人こそ完成された成人となる。中学に入る頃には敬語と秩序を叩き込まれたり、遊べるのは社会人(または結婚する)までと言われたり、したいことを我慢し、義務の嵐を受け入れ、役目を果たすことを求められる。

結果、アメリカ人は子ども時代はそれはそれは不自由な時間だったと感じ、日本人はあれほど自由な時間はなかったとい言う。
結局、何もかも大人達の思い込み次第なのだ。

【結論】
アメリカ:大人になる=自分の欲求を自分の力で満たすことができるようになる
日本:大人になる=自分の欲求を制して、他の欲求を満たしてあげられるようになる

さぁ、君はどの国の常識で生きる?

参考文献:
ルース・ベネディクト「菊と刀」

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