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好きな服、着たい服、似合う服。

今あなたが着ているのは、どの服だろう。

着たい服を着ていると私らしい?
似合う服を着ていると私らしい?

『結局、自分らしさとは何なのだ』

好きな人格と、なりたい人格と、しっくりくる人格も全く違う。
果たして、なりたい自分になるために努力して出来上がったものが、私らしさだろうか?ありのまま、努めて自然的に存在するものが、私らしさではないだろうか?

欲望を満たしていくのが人生なのか、
欲を捨て自己を見つめるのが人生なのか。

自己から解放されるほうが幸福か、
自己を増長するほうが幸福か。

好きなことをして生きていくことは、快適で楽しいかもしれない。しかし、嫌いなこと、苦手なことも、仕事だなんだでやっていれば意外と得意になったり、自分の知らない自分は果てしなく広がっているのに、それを自分の意志で閉じてしまうのは勿体なくなかろうか?

置かれた場所で咲くことは、温かく安らかかもしれない。しかし、歩けるのに同じ場所に留まっていては、腐ってしまわないだろうか?置かれた場所で咲こうと思う者ほど、置かれなかった場所を空想してる者はいないだろうに。

理想と現実なんて単純な話じゃない。
好みと似合いの問題はもっと悩ましいのだ。

サラリーマンは向かないけど、根っからのサラリーマン家系すぎてサラリーマン以外はもっと向かない。
高層ビルがそびえ立ち、人がゴミのような都会では生きたくないけど、虫のいる部屋では絶対寝られないし、清潔なトイレがあるところじゃないと生きていけない。
世界中飛び回って活躍する仕事がしたくても週に3日は「旨い」日本食を食べないと体調を崩す。どう足掻いたってわたしは、日本で生まれ育ったのだ。

理想 VS 運命
私 VS 神

理想は私の心の次第でコロっと変わるのだ。今日の理想が明日の理想とは限らない。あまりに信用できない。そんなものを追い求めるなんて博打だ。
運命は私の心に関係ないところで回っているから、私の影響は受けない。私のことを考えているわけでもない。そんなものに自分を預けるなんて博打だ。

分相応に生きれば、きっとしあわせで、
挑戦して生きれば、きっと満ち足りて、
欲望を満たすほど、空虚で、
欲望を抑えるほど、空虚だ。

何にせよ同じだからと、どっちにも振り切れない煩悩だらけの私は、どっちつかずのままうろうろと時間を浪費してゆく。どっちかに振り切らずに、折衷案を出すのが大和民族のお家芸だろうと言われるだろうか。しかし、こうも好みと似合いが違えば、衣装として許容できないほどちぐはぐなものになってしまわないだろうか。あるいは、好みと似合いが一致する領域だけで、生きろと言うのか、私よ。

さぁ、私は一体どんな服を着るのだろうか?

私の人生はそれを観察するものである。

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