非・常識人

舌なめずりするほど異文化が好きなのは、
凝り固まった思い込みを崩せるからだ。

数多のことばを操れるようになりたいのは、
世界の捉え方を増やせるからだ。

文法の違いは、世界の捉え方の違い。
わたしのことばで表現できないものが、
たった一言で表現されている世界もある。

無意識に、だけど確かに、誰にでもある、
「食べられる物」の範囲、
「時間」の概念、
「恋愛」の定義、
日常の些細なことも、文化に侵されている。
気づかないうちに固定観念に支配されている。
「それでいいのか?」
異文化には、あらゆる認識を問い直させられる。

私にとっての常識は、誰かにとっての非常識である。


そのことを突き付けられるのが、たまらなく楽しい。
「常識でしょ?」と決めつけない、
自由な、非・常識人になりたい。

--
文化という柵(しがらみ)は、
私を苦しめるものなのか、
はたまた私を守っているものなのか。
――どちらにせよ、
私を成形する「文化の檻」は壊せないけれど、
だからこそ、せめてその姿くらいは見えるようになって、
睨めつけて生きてゆきたい。
それで誰かを閉じ込めてしまわないように。

西江雅之
『ことばだけでは伝わらない コミュニケーションの文化人類学』

を読んで     2018.05.01 ほかる

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