見出し画像

53.自分軸で生きるとわがままと言われる日本 過度な強調性に足を引っ張られない為に

異常なまでに強調性を強く求める日本

海外生活を経て、
日本で生活を振り返ると、
協調性を強く求められることが多かったと感じます

ネットで個人の考えを発信できるようになった事で、
社会の正しいとされる常識をおかしい、嫌だと思っていたのは、
自分だけではないと知れるようになったせいか、
最近は、以前よりも過度な協調性は緩和しているかもしれません

とはいえ、まだ古い慣習は残っている所もあり、

会社の飲み会や行事は、ほぼ強制参加の会社や部署があったり、
周囲が残業をしている中で、自分だけ帰ると村八分の様な扱いを受けたり、
コロナ禍に皆と同じ様にマスクをしていないと、マスク警察なる謎の集団が現れたり、
集団の中で意を唱える者がいれば、反抗的とみなしたり、
集団に群れずに1人でいる人を"ぼっち"と揶揄し、友達がいない寂しい者扱いをしたり、

皆と同じことに異常なまでに拘る様に見受けられます

人と少しでも違うと村八分

日本では、人と少しでも違うと、異端児として爪弾きにし、
抗う者には小さなコミュニティでの“標準”に引き摺り込む為に、
高圧的に抑え込む
目には見えない非常に強い同調圧力があると感じます

「皆と同じと世間でいう感覚」と、自分の感覚に差がないと、
恐らく自分の唱える同調圧力は何を言っているのかわからないと思います

でも、子供の時から常に「皆と同じと世間でいう感覚」と、自分の感覚とで、
大きな差を感じて来た自分にとっては、

同調圧力を
"協調性"、"チームワーク"、"コミュニケーション能力"、"社交的"など、
聞き心地の良い言葉にして、正当化し、
圧力を生み出し、マンパワーで圧力を強化している様に自分の目には映ります

こうした聞き心地の良い言葉に踊らされて、
社会の常識を鵜呑みにしてしまうことは、
本質を捉えられていないだけでなく、
とても危険だと個人的には感じます

日本にいる頃から、子供の時から、
協調性を過度に求める様子は、おかしいと感じていたものの、

日本以外の環境を知らなかった事に加え、
周りから否定され続けた状態が長く続いたこともあり、

自分の感覚に自信を持つ事ができませんでした

日本を出て、海外で生活してみて、
日本で言われる"協調性"は、過度な状態であり、
自分が今住んでいる国では"非常識"だと知る事が出来ました

自分なりに感じた事を書きたいと思います

自分軸で生きる事が難しい日本の同調圧力

日本の協調性の正体

協調性を過度に求める日本では、
個ではなく、
個を殺して全体に合わせる事が好まれる様に見受けられます

個人の成果に応じて、昇給や給与アップを求めると、
我が強い、金に汚い、チームの為に貢献する気は無いのかと言われ、
アピールすること自体をとても悪い行動のように言われることが多いです

どれだけアピールしようとも、評価側が最終的に判断を下す為、
本人がどれだけアピールしても、本来は何も問題は無いはずです

自分がアピールできない嫉妬か、
これまで我慢してきた鬱憤か、
評価側がシビアな評価を下す事で嫌われたくないという恐れなのか、

自己アピールする側が何故か、悪く言われてしまいます

また、寂しさを紛らわすだけの惰性的な集まりや、
嫉妬や不満だらけの愚痴ばかりの飲み会でも、
参加しなければ、
自己中、付き合いが悪い、協調性に欠けるなどと言われることもあります

高い頻度でかつ、1次会以降も連れ回す長時間の飲み会に、
さほど得るものも無く、
お金と時間の無駄と思う人がいる事は、
何も不思議な事ではなく、寧ろ正常な判断だと自分は思います

参加するかどうか、本人の自由で、
他人が強制するものでもありません

でも、日本では、自分の意思決定が尊重されず、
人の嫌だという感情を平気で踏み躙るだけで無く、
批判的な言葉を浴びせる状況に溢れかえっていると感じます

他人軸で動いていないと浮いてしまう

それ以外にも、
周りの人、親の期待、社会的体裁がどうとか、そんな事はさておき、
自分の目標の為に、継続できるペースで、継続できるやり方で、
1人黙々と努力をしていても、

目上の人の言われた通りのやり方ではないと"問題児"、"劣等生"という扱いをしたり、

出来が良いと、周囲の同級生から嫉妬やいじめの対象にされたり、
同級生だけでなくその親からも、過度にライバル視されて、嫌がらせを受けたり、

何よりも周りと協調する事が非常に重要視されており、
そのせいで、日本には他人軸で動く人がとても多いと感じます

このnoteで散々言っている自己肯定感の重要性、
自分軸で動く事の大切さをいくら頭でわかっていても、
日本にいると、なかなか維持し続けることは至難だと思います

実際、自分の過去を振り返ってみて、
正しく自己肯定感が養われなかったものの、
子供の頃から、何か目標に向かって努力をするモチベーションは、
周囲の人の事はさておき、いつも自分自身で完結し、自分軸で動いていました

誰かに合わせるという事があまりなく、浮いていたこともありました
そして、上記の様な批判的な言葉を浴びて来ました

嫌なものは嫌、
やりたく無い事はなるべくやらない、
自分にとって価値があると思えず、得るものがなければ行かない/買わない/しない

成長するにつれ、浮かない様に振る舞うテクニックを身に付けたものの、
周りと無理してまで、同調する気がないという中身は何も変わっていませんでした

そのお陰で、
他人に嫉妬をして、嫌味を言ったり、
過度にライバル視をして嫌がらせをしたり、
人と違う事をする人を馬鹿にしたり、
そんな行動を取ることはほとんどありませんでした

でも、自分軸で生きていると、
"自己中"、"わがまま"、"性格が悪い"、“もっと周りも人の事を考えろ”と
幾度となくこれまで言われて来ました

こういった言葉を浴びせられ、
周りに仲間もおらず、
1人孤独に抗うにも限界があり、
少しずつ他人軸に引っ張られて行きました

その状態になってから、特に上手く行かなくなったり、
生きづらさを強く感じる様になったと思います

自分の意思表示が何もできないから、何を言って良いのか分からなくなりました

自分の事を大事にしてから他人を大事にする、
自分との約束は守る、
自分がどうなりたいか明確にする、
自分は何が得意で、何が苦手か客観的に見る、

それを守る為に、足を引っ張る人がいれば、
一時的に孤独になったり、
立場が不安定になっても、
自分の近くからは排除する

そう行動を変えたら、生きづらさはかなり解消しました

自分軸で生きようともがいている人へ

自分軸で生きようと思っても、
大きな不安を感じ、行動に移せない人がいると思います

日本では、他人軸で生きる人が多いからこそ、
周囲から浮いて見える自分軸で生きる事に、
恐怖を感じる事に無理はないと思います

でも、自分にとって不要なものを切り離さなければ、
新しい人間関係や時間を自分の好きな使い方はできず、

新しく自分に合ったものを取り入れる余裕が出来ないと、
自分の経験上で強く感じました

日本で浮いていても、
日本を出たら、むしろ自分軸で動いていないと、
おかしな者扱いになる環境も存在する事を知ってもらえたらと思います

また、1人になる事の豊かさも
陰ながら応援しています

関連記事

孤独や変人の強み

自分の軸を作る

自分を変える


この記事が参加している募集

多様性を考える

宜しければサポートお願いします。 頂いたサポートは、活動費として使わせていただきます!。