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#5 このnoteの目的と活用法

このシリーズを書こうと思った理由を、
もっと明確に言語化しておくべきだと、

非常に遅ればせながら、気が付きました。

つい、さっき(汗)

でも、見切り発車で書き始め、
いくつか書いたからこそ、
朧げな輪郭がはっきり見えてきたわけで、
そうでなければ、気づけなかったかもしれず
やってみたからこそ、与えられた気づき、
でもある。

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だから、遅ればせながらですが、
ありがたく綴りたいと思います。

このnoteを読む方に、
少しでも活用され、
お役立ていただけますように。
必要な方に届きますように。
祈りながら書きます。

なぜ書いているのか?

伝えたい人がいるから。

何を伝えたいのか?

信じるべきものに出会えたことで、
それまでの生き辛さ、閉塞感、絶望が
一つ一つ、着実に、癒され、解決され、
救われ、満たされたこと。

低かった自尊心が回復し、
絶望に支配された心が
解き放たれ希望を手にしたこと。

諦めず求めることを「選ぶ」大切さを
何度も挫けそうになりながら、
その度に、諦めないことと求めることを
わたし自身が選んできたから。

そして、感情でさえ「選べる」ものだと言うこと。

どんな人に伝えたいのか?

かつてのわたしと同じ「もがき」と「模索」の
只中にいる人に。
わたし自身が「生き辛さ」を感じ、
心が渇いて渇いてどうにもならず、
もがいてもがいて、絶望して、
それでも希望を諦めきれなかったから。

最初から順風満帆だったわけじゃ無い。
何度も難波し、漂流し、溺れて、傷ついた。
今だって、いつでも試練はある。
楽チンに苦労なく歩んできたわけでは無い。
もちろん、わたし以上の苦難を生き延びてる人がもっとたくさんいるから、
わたしはさほどでは無いとは思うけど。

全てを自分ごとには出来ないが、
自分ごとにできることもたくさんある。
「どうせ出来ない」と諦めてしまうと、
自分ごとにはできないけども。

だから、諦めたくない誰かの背中を押せたら嬉しい。

なぜ伝えたいのか?その動機は?

私の体験が、
誰かの、何かの、少しの、
ヒントになるかもしれない。
視点を変える参考になるかもしれない。
希望を少しでも感じてもらえたら、嬉しい。
かつて、私が誰かに助けられたように。
助けてもらわなければ、
わたしもここには居なかったと思うから。

そんなわけで、今後も自由に綴りますので、
自由にご活用いただければ嬉しいです。
少しでも、
時に、誰かの心の背中をさすり、
時に、心の背中を押すこともできるように。

今日も祈って、綴ります。

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