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台湾語という特殊言語

私は家庭内台湾語&日本語で育ちました。
台湾の公用語は、中国の公用語でもある北京語(通称マンダリン)なので、私の将来の利便性を考えたら、親は北京語を習得させたいと考えるのが一般的かと思うのですが、そんな単純な話じゃないのです。

台湾語は、正式には閩南語と呼ばれる言葉で、元は福建省地方で話されており、そこの住民が台湾に移り住んだことで、台湾で広く話される言葉となった歴史があります。広東語のような、中国語の方言とも言えますが、発音命の中国語が4声なのに対し、台湾語は8声あり(広東語は6声)、正直、あとから勉強して習得するのはかなり難しい言語だと思います。

閩南語
話される国:中国大陸地区、台湾、シンガポール、マレーシア地域東アジア
話者数:4,900万 (少なっっ!!

Wikipedia

世代で話す言葉が違う台湾

台湾は、いろんな国が植民地支配に置いた、複雑な歴史を持っています。ゆえに、各世代で教育が変わり、公用語も変わりました。

祖父母世代

日本統治時代に教育を受けた私の祖父母は、台湾語と日本語を話します。私が日本で育つにあたり、家庭内言語が台湾語と日本語になった理由はコレ。祖父母と同居していたからです。
父方の祖父母が日本に移民し、コミュニケーション面で問題無く生活できたのは日本語教育だったから。小さい頃、台湾に居る母方の祖父母に手紙を書く時や、夏休み台湾に帰った時も日本語でおじいちゃんおばあちゃんと会話ができたのは有り難かったです。

両親世代

その後日本が撤退し、台湾が中華民国となると、公用語は北京語になります。私の両親は、学校で北京語教育を受け、家庭では台湾語で育ったため、この世代で、台湾の中部以南出身の人は北京語と台湾語のバイリンガル、または両親の影響で少し日本語わかるよ、って方が多いです。(台北は「外省人」と呼ばれる中国本土からの移民が多いため、北京語オンリーの家庭が多いです。日本統治時代から台湾に住んでいた私の家族は「内省人」と呼ばれます)

そう、なので、祖父母と同居する中で、私への教育のために両親が北京語を話してしまうと、祖父母が理解できないという現象が起きてしまうのです。

私世代(現在アラフォー)

出身と祖父母との関係性でかなりバラつくのが私世代(私中心ですみません、いまいち名前つけられず)。台湾中南部の田舎育ちだったり、日常的に両親が台湾語を話す環境であれば、かなり上手に台湾語を話す人も多いですが、内省人であっても台北で両親と北京語オンリーで育った場合、祖父母と全くコミュニケーションが取れないという現象も起きてます。(実際、私の従妹の1人は台湾語をほぼ話せません)

なので、難解な単語は無理ですが、日常会話には支障がない私の台湾語は同世代の中でもかなり上手な方で(発音含め)、特に年上の方には驚かれたり褒められたりします(えへへ。

若者(定義が雑…)

私達の時代は、台湾語って田舎っぺというか、お年寄りしか使わないダサい言葉、みたいなイメージがあって、茶化す時だけに使ったり、特に女の子は好んで話さなかったんですが、最近のSNSを見ていると、若い世代が台湾語で発信している動画も多く、変化を感じるようになりました。

流暢に話せる人口は確実に減っていってしまっているものの、台湾人としてのアイデンティティや、台湾語を話せることが特殊技能というかクールな印象になってきたのかな、と個人的には嬉しい流れです。

父の教育方針はジュディ・オング式

さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、私が北京語ではなく台湾語を第二母語として浴びることになったのは、

家庭内でみんながわかる言葉が台湾語だったから

という理由です。

あと、父が周りに私の台湾語を褒められる度にドヤ顔で話し始めるのが、ジュディ・オングの話…(若い方、ジュディ・オングわかるかしら…女は海です。

ある日テレビでジュディ・オングがインタビューに答えていたそうで。ジュディさん、語学が堪能で日本語、英語、台湾語、北京語、広東語、スペイン語を話せるんですが、日本で生活する中でどのように習得したのかという話の中で、家庭内は両親の母語である台湾語で、台湾語で答えないと、両親はわからないふりをしたそうなんです。

例えば、「お母さん、お腹すいた」と言っても、お母さんは知らんぷり。
「媽媽,我肚子餓了(ママ、グァバッドーヤオ)」と台湾語で話して初めておやつを出してもらえたんだとか。

これを見た父、ひらめいちゃったんです…

そうだ、うちも、こうしよう と…

なので、正直私はあまり記憶にないんですが、ジュディ・オング式、頑張ってたみたいです。ただ多分、ジュディ家ほど厳しくなかったはず(笑)私が頑なに日本語で答え続けてたら、祖父母は絶対すぐ折れてたと思うし、台湾語話すまでご飯もらえなかった記憶もありませんwww

私個人として、台湾語習得に一番大きな影響をもたらしたものは他にありますが、それはまた別の記事で書きたいと思います。

ちなみに父は、自分のジュディ・オングインスパイア教育方針に誇りを持っていて、意気揚々と親戚友人に話す姿を何回も見てきましたが、私が台湾語を話すことを本当に誇りに思ってくれて嬉しそうなので、横で黙ってニコニコしています。

なので、いや、ぶっちゃけ結構ブレブレやったやん?というのはここだけの秘密にしておいてあげてください。

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