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「神楽坂オーバーグラウンド:ポンコツ探偵と支配する女」第2話

第2話 お引き受けする事件があるのかないのか

1. 真冬の神楽坂、江戸前寿司店にて

マリとは神楽坂駅の矢来町方面の出口で待ち合わせした。

「寿司が食べたい」と言うので、連れて行ってやろうということになったのだ。

俺は15分ほど早めに着き、彼女が来るのを待っている。
九段下駅から東西線で来ると聞いていたが、ちゃんと先頭車両に乗れただろうか。
反対側の車両に乗ってしまうと赤城神社の方に出てしまい、少し歩くことになる。

待っている間、俺はアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」をぱらぱらとめくっていた。
この本は何度読んだかわからない。
映画も何度観たかわからない。
それなのに、あまり過程や結末が思い出せないのだ。

俺はその場……読んだり観たりしたりしている瞬間を楽しむことはできても、あとから振り返るのには向いていないらしい。
これで探偵の資質があると言えるのかどうかは、はなはだ疑問である。

「不可能なことは起こりえません。要するに、どんなに不可能に見えても可能なのだということですよ」

エルキュール・ポアロのセリフである。
そういえばシャーロック・ホームズも似たようなことを言っていた。
名探偵の域に達すると、自ずとその考え方も似てくるのだろうか……。

約束の時間だ。
地下鉄からの階段をゆっくり上がってくるマリの姿は、はたから見ても寿司への期待に満ち溢れていた。
そんなに楽しみにしてくれていたのかと思うと、俺も悪い気はしない。

「ごめんトキ、待たせちゃったかな?」

マリと一緒に早稲田通りを歩いていると、件の寿司屋が見えてきた。
いわゆる江戸前寿司を売りにした老舗である。

「あー、楽しみだなー。今日は卵サンドイッチ一切れしか食べなかった」

マリは一つの食事にかける思いがすこぶる強いようだ。
特にディナーに出かけるとなると、その日はほとんど何も食べずにガマンするという。

ただし彼女は決してお金に困っているわけではない。
それどころか世界的なIT企業の創業者の娘……れっきとしたお嬢様である。

「このジーンズ、通販で買ったらサイズがぶかぶかだったよ、ほら」

確かに……ズボンの腰回りが胸の下まで来ており、足元も地面を引きずらんばかりである。
価格は1,000円だったそうだ。
これ本当にお嬢様なのか……?

せめて今日の寿司はお腹いっぱい食べてもらおうと心に決めた。

目的の寿司屋の看板は堂々としている。
小さい筆文字でちょろっと店名が記しているような気取った店とは違って親しみやすい。
とびらを開けると女将さんが出迎えてくれた。

「どうも、2人で予約した佐伯です」

申し遅れたが、俺の本名は佐伯時之である。
ただし仕事の場以外でそう呼ぶ人はほとんどおらず、たいていはトキで通っている。
もちろんマリの中でもトキで定着している。

中央のテーブル席に案内された。
やや早い時間だったためか、お客さんもまばらである。

「俺はビールを省略して、日本酒から始めることにする」

「わたしはグレープフルーツサワーね」

マリは柑橘系の飲み物が好きだ。
どんなときもグレープフルーツサワー、それがなければレモンサワー、シークァーサワー、すだちサワー、かぼすサワー、そしてそこまでメニューにないと、明らかにすねてしまう。

そのため俺も店を選ぶときは事前にメニューを確認するようにしている。
場合によっては直接店に電話して問い合わせておくほどである。

俺は静岡県の銘酒、磯自慢の純米酒を頼んだ。
せっかく神楽坂の寿司屋に来たのだ、たまの贅沢も悪くない。

2. ただただ寿司のこと

おつまみをどうしようか。
マグロの中落ち、ぶりの煮つけ、あなごの白醤油焼きを注文する。
写真付きのメニューが食欲をそそる。

マグロの中落ちは思いのほか大きかった。
スプーン代わりにわたされた貝殻で身をほじっていく。
お互い無言になる。
ほじる箇所がなくなってきたころ合いに、なんとなしに尋ねてみた。

「そういえば、マリは寿司のネタで何が一番好きなんだ?」

マリは人差し指をくるくるさせながら答えた。

「何でしょうーか? 当ててみて!」

調子が狂うな。
ちょっと気を抜くと、すぐどうでもいいクイズを仕掛けてくる。
探偵というものを勘違いしているらしい。

まじめに相手する気にもならないが、とはいえエルキュール・ポアロの灰色の脳細胞に少しでも近づきたい身としては、やはり探偵の血が騒ぐ。
俺の推理力を試してみたい。

「ウニ?」

推理というよりあてずっぽうである。

「一番じゃない、はずれー」

あまり悔しくないので、俺は黙ってしまった。

「あきらめちゃだめだよ、ほら、がんばっれ! がんばっれ!」

手拍子付きで応援される。
つい笑い出してしまった。
何としてでも当てるまでは、永遠にこのくだりが続くのだ。
よかろう、それなら俺も本気で応えることにする。

「そういえばマリは以前、肉の脂身が好きだと言っていたな」

「お、ということは……?」

「中トロ、大トロだ」

「きゃー、大正解!」

俺がその気になればこの程度の推理は朝飯前である。
しかしこうもスマートに当てられるとなかなか嬉しいものだ。
もう少しこの余韻に浸っていたい気持ちもあるが、そろそろ寿司を注文しようか。

俺はというと小肌、締め鯖、鯵などを好んで食べる。
あとは茶碗蒸しを忘れずに頼もうとだけ心に刻んだ。

「マリはどうする? 遠慮なく好きなのを選ぶといい」

「わたしはね、ちょっと欲張っちゃうかも」

マリはイカと、タコと、しめ鯖と、芽ねぎと、のどぐろと、かつおと、アナゴと、大トロを注文した。

3. 俺とマリとの出会いに関して

「しかしトキってさ、本気で探偵を目指してるの? さっきも推理小説を読んでいたね」

寿司がだいぶお腹の中に片づいたころ、いつもの話題の一つに戻る。

「そういう気持ちはあるものの、なかなか俺の好奇心をそそるような事件に出会えない」

かのエルキュール・ポアロも言っていたではないか。

「興味を掻き立てられる事件しか、受ける気はありませんね」

マリは少々いらっとしたようだ。
これまでいろいろとため込んでいたに違いない。
一気にまくし立ててくる。

「事件の依頼なんてきたことないのに、出会うも何もね。ライターで十分儲けているから、そういうこと平気で言えるんじゃない?」

確かに俺はビジネス書のゴーストライターを本業としている。
たとえば大企業の大物たちにインタビューして、彼ら・彼女らの成功の秘訣を聞き出し、彼ら・彼女ら名義の著書を出す……それが俺のメインの仕事である。
なお、気にしたことはないが自分の名前が表に出てくることはまずない。

「まあそう厳しいこというな。俺も状況は理解しているつもりだ」

そういえば、マリとの最初の出会いもライターの仕事がらみであった。

数カ月前、俺は久住正信という経営者のゴーストライターを務めたことがある。
久住正信は裸一貫で会社を起こし、世界で通用するIT企業に育て上げた大人物である。

そのノウハウを世の中に伝授できればさぞかし有意義であろうと考えた出版社あるいは編集者が、どうにかこうにか一冊の本にする算段を付けてくれたのだ。
その過程ではいろいろな苦労があったに違いない。
何せ相手はそうしたオファーがいくらでもある有名人で、どの出版社からどんな本を出すか好きなように選べる立場にいるのだ。
俺としても各方面にかなり気を遣う仕事ではあった。

実際の久住正信は50代後半、渋谷の新しいビルに本社オフィスをかまえ、ビジネスで成功した実業家の中でも、頭ひとつ抜けた切れ者という印象を受けた。
偉そうに訓示を垂れるタイプではなく、こちらがいろいろ質問すると期待した以上の答えが返ってくる。

俺としても有意義な取材ではあった。
相当厳しいスケジュールの中、インタビューに時間を割いてくれたのは恩の字としかいいようがない。

その取材を、久住正信のそばでずっと見守っていたのがマリである。
マリ……つまり久住真理は、正信の一人娘なのだ。

マリはそこで秘書を務めていた。
ややなげやりな調子で、正信に対する態度も妙につっけんどんだったのを覚えている。
正信はあまり意に介していないようだったが。

4. マリとトロとゴーストライターと

「……十分儲けているというのは言い過ぎだな。ゴーストライターの稼ぎじゃマリの収入にはかなわないさ」

想像はつくとは思うが、ライターの仕事は書けば書くほど、依頼があればあるほど儲かる。
かといって書くための時間、依頼を受けられる量には限りがあって、収入を上げるには原稿料を上げざるを得ない。
とはいえ現実的には相応の相場というものがあるし、なんだかんだで駆け出しのころお世話になった恩やしがらみも捨てきれない。
原稿料の設定はそのさじ加減が難しいのだ。

「いや、わたしも会社からはそんなにもらってないからね」

マリはそういうが、もともと持っているモノが違う。
実は、俺は彼女から神楽坂の事務所を使わせてもらっている身なのだ。
そんなわけで俺はまずマリに頭が上がらない。

まだ言い足りないのか、マリはたたみかけてくる。

「トキにはまず危機感が足りないんじゃないかな。探偵探偵いうけど、まだ開業すらしていないし。もっと依頼をがつがつこなしてみたら? じゃないとずっと実績のないポンコツ探偵のままだよ」

まったくその通りなのだが、さすがに俺も少なからず傷ついた。
10以上も年下の小娘に一番触れてほしくないことを指摘されたのだ。
せめて威厳ある表情を保ちつつ、精神の立て直しを一所懸命図るので精いっぱいである。

「トキは探偵のことばかり考えていないで、いまの仕事も大事にしないとね」

「ああ、わかっているさ」

いろいろと俺のためを思って言ってくれているのもわかっている。

マリはというと、最後まで楽しみに取っておいた大トロにようやく手を付けた。

「んー、んー」

全身をぷるぷるさせながらおいしさを表現している。
こういうところはまだまだ子どもだな。

「じゃあトキ、締めの謎かけやってよ」

だいぶごきげんな様子である。
食事のたびに行う謎かけが定着してきたようだ。

「え? そうだな……えーと……えー……」

なんとかひらめいた。

「マリとかけて、大トロと解く。その心は……」

「その心は?」

「どちらも人の心をわし摑みにするでしょう」

前回は少し意地悪してしまったので、今度は逆の切り口にしてみた。
きれいにまとめすぎたか、あまり面白くなかったかもな。

しかしマリはなんだか嬉しそうだった。

「ありがとう」

照れ隠しなのか、両手の拳の上にあごを乗せ、かわい子ぶりっ子のポーズを取る。

最後に熱いお茶を飲んで、お開きとすることにした。

「おいしかったー、また来ようね」

満面の笑みでそう言われると、連れてきた甲斐があったというものだ。
今度はどこへ食べに行こうか。

「魚介の次といったら、やはり肉!」

なるほど。
そういえば、おいしいサーロインステーキを出してくれる居酒屋に心当たりがあるな。

その後、俺は快い気持ちで神楽坂の事務所に戻った。
このまま少し原稿を書いたら、あとは小説でも読みながらゆっくり過ごそうか……。

なんて考えていたが、どこか違和感を感じる。
急いで室内を確認すると、デスクの上や書庫の中が大いに荒らされていた。

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