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46 母親は母だが父親はなんだ?

時計屋が出て来た夢

 そこは、懐かしい商店街だった。
「まだ、あるね、時計屋さん」
 店名は覚えていない。同級生の親がやっている店だったはずなのに、名前も思い出せない。
 昭和のあの頃、幼いぼくは自分の生まれ育った住宅街だけが、世界のすべてだった。
 家を出て友人たちの住む家の前を通って坂を上がっていくと、学校と同じぐらい長い時間を過ごした公園がある。ジャングルジムと鉄棒と砂場、ブランコとシーソーがあったはずだ。ブランコに乗って靴を飛ばす遊びを飽きずにやった。缶蹴りもやった。鬼ごっこ、あの子が欲しいと歌う女子、だるまさんが転んだ……。
 そこから道はフラットになって、長方形の広大な土地を占める県立の施設がつくる二つの辺に面して、商店街が延びている。八百屋さん、パン屋さん、お菓子屋さん、肉屋さん(コロッケがうまい)、小規模のスーパー、おもちゃ屋、寿司屋、蕎麦屋、中華屋、理髪店、美容院。そして一番外れに、自家製パン屋と魚屋さんがあり、その向かいが時計屋さんだ。
 商店街が終わると、急な下り坂になってそこを登り返すと、今度は駅へつながるもう一つの商店街がある。だけど、そこまで行くことは小学校の高学年になるまではあまりなかった。
 車椅子を押している。
 母親はうれしそうに「時計屋さん、まだやっている」と言う。
 そんなはずはないのだ。そこは随分前に閉じた。向かいの魚屋も閉じた。最後にこの商店街に来たとき、やっていたのは自家製パン屋ぐらいだった。県の施設に出入りする人たちの昼食として、なんとかやれていたのだ。
 ほとんどの住宅の人たちは、車で大型スーパーへ買い物へ行く。駅の周辺に三つもスーパーが出来てしまったので、商店街はいっきにさびれた。
 母と一緒に買い物に行っていたのは、小学校低学年までだろう。
 その頃は、時計屋まで来るのは、かなりの冒険だった。
 あまり大きくはない間口。中央のガラス戸の左右には、斜めになったショーウィンドーがあり、たくさんの時計が並んでいた。店内に入ると、腕時計の並ぶケース。壁には、鳩時計など大型の時計がたくさん。どれも十時十分で止まっていて、一つだけ、鳩時計が動いている。それが鳴るときにちょうど行き合わせたら幸運だった。
 店主は、店の奥で机に向かっていることが多かった。片目にはめるルーペをつけて、修理をしている。
 目覚まし時計や腕時計が壊れると、修理を頼みに行った。
 左目にぎゅっと顔をしかめるようにして、ルーペをはめた店主は、ぼくの憧れだった。普通の人が、変身すると、左目にルーペが現れるのだ。
 そんな夢を見た。

ピンと来ない父親

 夢に母親が出てくるのは珍しいことだったが、父親が出てきたことはない。
 向田邦子の作品にはまった時期があって、そこにはちょくちょく父親が描かれている。娘から見た父親は、どこか捉えどころがない存在ながら、ときどき、くっきりと姿を現す瞬間がある。
 あらゆる子どもにとって、母親は「母」だ。では、父親はなんだ?
 男子でも女子でも、母親の味方をしがちなのは、動物的な意味で「餌付け」の成果かもしれない。もし父親によって食を与え続けられていたら、きっと違っていたかもしれない。
 父親は普段は姿を見せない。朝、出掛けていき、なかなか帰って来ないが、家に残された者たちは、いずれ父親が帰ってくるので、「それまでに」なにかしらのことをしておかないといけない。掃除、洗濯、買い物、夕食の支度、風呂を沸かしておく……。
 北杜夫にはまっていた頃、やはり父親について記していることがあった。この場合、父親は超有名な歌人・斎藤茂吉であり同時に精神病院の院長でもあったから、小説『楡家の人びと』に存分に描かれている。
 向田邦子の描く父親、北杜夫の描く父親とも、ぼくにとっては、時計屋さんの店主と同じような意味で、遠い存在だった。
 ぼくの父親は会社員だったので、通常はあまり家にいない。
 ただ、共通しているのは、父親が動くとき、家族にとっては大きな変化(あるいはトラブル)が起こりやすいことだろう。なにかを変えたり、壊したり、こちらを巻き込んでしまう。
 ぼくの父親の最初の大きな変化は、自宅の増設だ。県営住宅だった庭付き一戸建てに新たな居間を作る。さらに二階を作る。台所を変える。風呂場やトイレを変える。やるのは大工さんたちで、父親は不在。工事をずっと見ているのは母とぼくである。大工さんにお茶を出したりもする。
 次はクルマだ。マイカーを持つ。そのために庭を潰して車庫を作る。その車庫を父親は自作した。ブロックと鉄筋、コンクリートを床に流し……。父親は休みの日はほぼ外でそんなことをしていた。
 ぼくが社会人になった頃、父親は遠い工場へ転勤すると言い出した。
「退職するんじゃないの?」
「あと三年ぐらいやれるから、工場へ行けば社員だけど、こっちに残ると嘱託になって給料が半分ぐらいになってしまい……」
「単身赴任する気?」
「ダメかな」
「ダメでしょ」
 ぼくは、社会人になって、ひとり住まいするつもりでいた。父母の元にいる時間はもう少ない。母をひとりでここに残すのか。そう、父に言うと「そうだな。わかった」ときっぱり転勤をやめて退職し、タクシーの運転手をはじめた。
 自分も父親になってわかるのだが、父親というものは、なにをやっても身勝手な存在で、不合理で、妙に厳しい部分があるかと思えば、とんでもなくルーズな面もあり、厄介な存在だ。
 父親は、親である前にただの男に過ぎない。
 きっと、娘もぼくのことをそう見ているに違いない。


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