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164 鳩の足跡

砂地に拡がる波紋

 ある日。公園の砂地に奇妙な波紋を見つけた。風ではこんな複雑な模様はできない。かといって人間がやったにしては浅いというか、単調だ。しばらくして、それが鳩たちの足跡だとわかった。見れば、私が近づいたから少し距離をあけていた鳩の一団。そっちの砂地にも波紋をつけながら、みんなでうろうろしている。
 そもそも、鳩は飛べる。あの体でよく飛べる。いや体もさることながら、どれぐらいのエネルギーで飛んでいるのだろう。それに見合った食事をしているのだろうか? もしもわずかな食事で、自由に空が飛べるなら、これほど効率のいい体はないはずだ。燃料サーチャージもいらないし。
 飛んでいないときは歩いている。鳩にとって、どっちが消耗しないのだろう。たぶん食べ物を探して歩き回る方が、省エネなのではないか。体を休ませながら、燃料を補給しているところかもしれない。
 そこに保育園児みたいな子どもが「わー」と言って駆け寄る。
 さすがに鳩も飛ばざるを得ない。
 見ていると、明らかに面倒くさそうに飛び立つやつがいる。きっとまだ十分に休めていない。まだ食べ足りていないのではないか。それとも食い過ぎで飛べないのか。そんなことあるだろうか。
 東京都では鳩が増えすぎたので一時期、徹底して餌やりに注意を促していた。そのせいか、いっきに鳩の数は減った。それがいまは再び増えてきている気はするし、相変わらず餌を撒いている人がいるのだろう。以前、猛暑の頃には、わざわざ公園の水道でカラスに水をあげている人もいたぐらいだから。そういう人たちは一定数存在しているはずだ。
 餌やりによって食べ過ぎた鳩たちが、飛べなくなったと言う話は聞かない。栄養が行き渡ることで繁殖意欲が増して個体数が増加してしまう。自分は太らず、分身を作る。これこそが、生物の本来の姿なのかもしれない。
 すごく前の話で記憶は曖昧なのだが、江戸時代の町人たちはみな痩せていた説がある。テレビの時代劇を見た歴史好きの人が「あの時代、こんなにみんな太ってるはずがない」と言ったらしい。
 確かに、江戸時代は魚と穀類、野菜が中心の生活で、脂や肉はほとんど食べていない。加工食品も限られていたはずだ。そもそも、食うや食わずの者も多かったに違いない。浮世絵などで、ぽっこりと腹が膨らんでいるように見える人物がいて、「これは栄養失調だ」と言った人もいた。真偽はわからない。ただ、満足な食事ができない時代が、人類史としては長かったに違いなく、いまのようなメタボは想像できなかっただろう。

薬でなんとかなるのか?

 今朝、ニュースでアライという内臓脂肪減少の薬が市販されるという。そのネーミングも意外だが(もちろん、新井、荒井といった名字を連想するけれど)、一般名称としては「オルリスタット」である。すでに注射式の「セマグルチド」もあり、両者についての紹介はNHKのここに詳しい
 いずれも、服作用がある。その服作用がなかなか、厳しい。いや、服作用としては許容できそうな感じもするのだけど、それぞれはっきり言えば体調がちょっと悪くなる可能性があるのだ。
 つまり、体調のことよりも体重、というある意味の緊急性がある人のための薬なので、サプリメント的に「やってみよーかな」ぐらいで手を出さない方がよさそうである。
 もし、人間がいざというときに飛べるとしたら、恐らくこうした薬は必要なかったかもしれない。
「きょうは重くて飛べねえ」とか「腹が減って飛ぶ気にならない」といった会話をしたかもしれない。
「食い過ぎたから、ちょっと飛んでくる」みたいなことになるかもしれない。
 幸いというか残念というか、飛べる人はいまのところいないので比較しようがないけれど。
 地面に無数の足跡がつくほど、餌を探し回らなくてもいいことを考えれば、飛べなくてもいい。
 その代償が、肥満なのだとすれば、甘んじて受け入れるしかないだろう。

夢の光景(まだ途中)


 
 
 


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