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ネコにまたたび、人間に懐古主義。── 『君たちはどの主義で生きるか ~バカバカしい例え話でめぐる世の中の主義・思想』より|さくら剛(作家)

わかりやすい攻略ルートが用意されていた時代と違い、令和を生きる私たちの人生はつねに“ハードモード”。そんな荒野のダンジョンにおいて、攻略本代わりに道を照らしてくれるかもしれないかすかな光……それが、哲学者・思想家たちの残した「主義・思想」だと、人気作家のさくらつよしさんは言います。ユーモアたっぷりに22の主義・思想をご紹介する話題の新刊君たちはどの主義で生きるか ~バカバカしい例え話でめぐる世の中の主義・思想(2023年12月26日発売、ウェッジ刊)より、「懐古主義」の章を抜粋してお届けします!

君たちはどの主義で生きるか
2023年12月26日発売(ウェッジ)

昔は、良かったですよね……。

私は、日本の文化や娯楽がもっとも魅力に溢れていたのは、昭和末期~平成前期の期間ではないかと思っています。

プロレスなら馬場猪木から闘魂三銃士・全日四天王までの時代。今のプロレスは跳んだり跳ねたりショーの要素が強く、あの頃の激しさがなくなってしまったように感じます。

サッカーもカズ・ラモスにゴン中山・長谷川健太たちがワールドカップ初出場をかけて戦っていた頃が一番楽しかった。予選通過が当たり前になってしまった今では、ドーハの悲劇やジョホールバルの歓喜のようなドラマはもう生まれないでしょう。

ファミコンも懐かしいですね。当時は性能が限られていた分アイデアやシナリオが秀逸なソフトが多く、さんまの名探偵やMOTHERなんかは時間を忘れて没頭したものです。グラフィックにばかり頼った、今のゲームしか知らない子供たちはかわいそうですよ。

テレビも音楽も出版も、あの頃は活気があった。今の若い作り手たちは世間の評価ばかり気にして、小さくまとまった作品しか作れなくなりましたね。

ほんと、つまらなくなったものですよ日本も。ああ、昔は良かったなあ……。

………………。

と、いうように。

ことあるごとに昔を懐かしみ、今よりも昔の方が良い時代であったと頻繁に考える思想が、懐古主義です。

懐古主義において「最上の時代であった」と振り返られる「昔」は、主に各人の子供~青年時代です。私なら昭和末期から平成ですが、私の親世代なら池田勇人の所得倍増計画のあたりを「あの頃は良かった」と懐かしむかもしれませんし、ひいおじいちゃんなら日清・日露戦争で連合艦隊が連勝した時代を、ひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいおじいちゃんなら平穏な世が続き浄瑠璃・歌舞伎など大衆向けの娯楽が花開いた元禄文化あたりを、ひい×80おじいちゃんだったら推古天皇feat.聖徳太子の治世の時分を「あの頃は良かった……」と懐古するのではないでしょうか。

余談をすみません。ひいひいひいひいと書いていてちょっと思ったんですが、今私がこうしてこの世に存在するということは、私のおじいちゃんって生命の誕生まで約30億年遡ってひい×10億人くらいは(微生物や小動物時代も含めれば)いるということですよね?

そのご先祖10億人の全おじいちゃんが例外なく子供を作って私まで辿り着いたというのに、10億代目にして初めて子孫を残せない私(未婚)はいったいなんなんでしょうか? 我ながらその事実に思いを馳せると絶句します。この血統10億人の中でのモテないランキング最下位(10億位)が私ということじゃないですか。微生物やグロい古代魚も大量に参加しているランキングでぶっちぎりビリの10億位って……、そこまで魅力ないですかね私……? 30億年目にして遂に血統を絶やす私は、あの世に行ったら9億9999万9999人のご先祖様に順番に詫びを入れに行かなきゃいけませんね……。


すみません本題に戻ります。

過去を振り返って「昔は良かった」と思いを馳せるのは、誰しも経験したことがある感情なのではないかと思います。

ただ、私は、マイルールとして「昔は良かった……」とか「あの頃は良かった……」みたいなことを、言ってはいけないということにしています。まあ今しがた思いっきり書きましたけど、ただできる限り、可能であれば、無理のない範囲で、1日1回くらいであれば仕方ないけれども、でもなるべく「昔は良かった」は言わないようにしなきゃなと、心がけていこうという方針を採用することを真剣に検討しています。

それはなぜかというと、この懐古主義の「過去を賛美する意識」というのは、現在の否定から生まれることが多いからです。

例えばバックパッカーの世界では、「バックパッカー、発展途上国が発展してしまうことを嘆きがち」というあるあるがあります。

私がアフリカを旅していた時にはトラックと交渉して荷台に乗って運ばれなければ到達できない町なんかがあったんですが、同じ区間がどうやら、今では公共のバスであっさり移動できてしまうようです。また、旅行者がインドの空港から市内に出るためタクシーに乗ると、必ず途中の悪徳旅行代理店で降ろされて軟禁されてぼったくりツアーの契約を迫られるというのがかつての常識だったのですが、なんと今では空港から市内まで地下鉄が開通し、途中で軟禁されずとも市内に辿り着けてしまうということなのです(それが当たり前やっ‼)。

そんな情報に接すると、私は「なんだよ、どこでもバスや地下鉄で行けるなんて、先進国と変わらないじゃないかよ。不便やぼったくり闘争こそが旅の醍醐味だっていうのに、アフリカもインドも、つまらなくなっちまったよな……」と、ふと嘆きの文句を発してしまいます。これは私だけでなく、「昔バックパッカーだった人たち」がよく言ってしまうセリフなんです。私だけじゃないんだ悪いのはっ!

でも、これって、紛れもなく昔を肯定して今を否定する態度なんですよね。

反対の立場で考えてみましょう。例えばペリーが今年180年ぶりに黒船で日本に再来航したとして、「オー、日本人、もうチョンマゲもやめて刀も差さなくなってしまったのデスね。浦賀にも鉄道の駅やらカインズ横須賀久里浜店やらできて、これではブルックリンと変わらない風景デス……。我々が来ただけで『蒸気船と上喜撰』を掛けた狂歌ができたり、鬼顔の似顔絵が瓦版で配られたりとチヤホヤされたあの頃が懐かしいデス……。今は蒸気船を見てもみんなぐっすり寝てるし、日本、つまらなくなりマシタ……」と愚痴を述べたとしたら、我々としては「勝手なこと言うなよ‼ こっちだって自分たちの暮らしを良くするために一生懸命文明開化したんだ‼ なんであんたらに旅情を感じさせるためにずっと後進国でいなけりゃいけないんだよ‼」と怒りたくなるでしょう。

このペリーの態度(勝手に悪役にされた想像上のペリー)が、懐古主義の欠点をよく表しているんです。

「昔は良かった……」という懐古的な発言は、基本的には「今はダメだ」の裏返しであり、それは今を生きている人からすると聞いていて気分の良いものではないんです。そもそも冒頭の私の懐古のように、「昔は良かった」のセリフには大抵「それに比べて今の若い奴らは」の批判が上の句下の句のようにくっついて来ますから。

この「昔は良かった、それに比べて今は」「俺たちの頃はこうだったのに、今の若者ときたら」は、一定以上の年齢の人にとっては呪縛とも呼べるくらい、言いたい渇望を抑えられないセリフなんです。例えば私が使っている英語のテキストにも「Today’s youth are very free and easy.(今の若者はのんきだ)」や「The younger generation has no manners.(若い世代は礼儀がなってない)」などという文が載っており、「今の若い奴らは……」は国際的な愚痴だということがわかります。

つい先日、元全日本プロレス三冠王者のトップレスラーが書いた本を読んでいたら、そこにも「最近のレスラーはこういう基本がなってない」というお説教文がありました。さらに、ジャッキー・チェンとアーノルド・シュワルツェネッガーの自伝にすら「今の若い役者はこういうところが良くない、自分が新人の頃は……」という主旨の記述があり、私は仰天したものです。

三冠王者Kさんはプロレスファンで知らぬ者はいないですし、ましてやジャッキーとシュワルツェネッガーなんて世界中の人が憧れる大スターではないですか。私のような小者なら「若者をディスることで相対的に自分の価値が上がった気分になる」という勘違いの自己満足で悦に入ることもできますが(ダサッ)、すでに人類の頂点にいるようなジャッキー&シュワちゃんがなんで今さら「最近の若者は……」みたいなことを言うのか。そんなことをしなくても、あなたたちがすごいということは人類全員知っているというのに。

結局、彼らのようなレジェンド級のスーパースターまでが「昔は良かった、今の若い奴らは……」をつい言ってしまう、それほど「昔は良かった」は人類にとって魅力ある言葉・思考だということです。ネコにとってのまたたびが、人間にとっての懐古主義だと言って良いでしょう。逆に「昔は悪かった」なんて考える人がいたら、それはもう人じゃなく人造人間かもしれません。ほら、だからターミネーターはいつも気に食わない過去を破壊しに来るんですよ……。


なぜ、それほどまで我々は「昔は良かった、今はダメだ」を言いたくなってしまうのでしょうか?

ひとつには、今述べた通り「他者(若者)を否定すると、相対的に自分を肯定できる。気がする」というのが理由でしょう。

例えば私が「今のバックパッカーはアフリカもインドも楽に旅ができていいよな~。俺たちの頃はひとつ移動するだけでもこうこうこうで、大変だったんだぜ……」と懐古に浸る時、そこには「俺の方が苦労してるんだから、俺はおまえたちより凄いんだぞ!」という主張が含まれているわけです。これはネット上などで一般人が有名人を叩く心理と似ていて、なにかこう「人としてのステージ」みたいなものを自力で上がっていくことが困難になった時に、他人を引きずり降ろすことで「あ、あいつと俺は大差ないじゃん」と感じて劣等感を和らげられるという、なんとも情けない行為です。

良くないですよね。そんなダサイことをする人間は微生物や古代魚よりモテなくて当たり前なので、せめてご先祖ランキングにおいて微生物超えを悲願とする私は、他人を下げるようなみっともない懐古は控えねばならんと自分に言い聞かせています。

すでに人類で最高位のステージにいるようなジャッキーやシュワちゃんが劣等感を持っているとは到底思えないのですが、もしかしたら彼らも「現役バリバリだった頃の自分」と「70歳になった自分」を比較して、我々常人では想像もつかない高レベルの劣等感を感じているのかもしれません。あるいは、彼らの業界では本当に「昔は良くて今はダメになっている」という厳然たる事実があり、情熱ある彼らは真摯に後進の発展を願ってそれを指摘しているだけかもしれません。歴史に名を残すようなヒーローたちの心情は、私のような凡人では推し量ることができず……。

ただ、人が懐古主義に陥りやすい理由は、それだけではありません。その他に、「認知的不協和を解消するため」にも、我々は過去を肯定し現在を否定することがあります。

これがわかりやすく発現するのは、おじさん(私)やおばさん、お年寄りが最新のテクノロジーを批判するような時です。冒頭で私が愚痴った「ファミコンは面白かったけど、最近のゲームはなっとらん!」のような、「新しい技術や製品の否定」に認知的不協和が関わっていると考えられます。

認知的不協和というのは、自分の中に「矛盾する認知」が同時に存在することです。よく挙げられる例としてはイソップ寓話の「酸っぱいブドウ」のお話があります。キツネがブドウを見つけて食べようとするのですが、ブドウは高いところにあり、どうやっても手が(あるいは口が)届きません。しぶしぶキツネはブドウを諦めるのですが、去り際にキツネは「どうせあんなブドウ、酸っぱいに決まってるさ!」と捨て台詞を吐くのです。

この話の中で、キツネが「ブドウを食べたい」という気持ちを持ちながら、でも「ブドウは手に入らないのだ」という矛盾した認知も抱えている……言うなれば「自分の中で複数の感情や事実認識がケンカしている状態」のことを、認知的不協和と呼びます。「甘い物は太るとわかっている」けど「食べたい」とか、「自分の方が仕事ができるはず」なのに「ライバルが先に出世した」とか、主に事実と感情が噛み合わない時に我々は認知的不協和に苦しみます。

そして、人は認知的不協和を抱えると、それを解消しようとする性質があるんです。キツネが「あんなのどうせ酸っぱいに決まってるさ!」と強がる行為がそれです。ブドウを「食べたい」のに「食べられない」という認知の不協和はキツネにとって大きなストレスであり、そのストレスを払拭するために、キツネは「そもそもあんなブドウは不味いに決まっている、よって自分は、あのブドウを食べたくないのだ」と考えを変えるわけです。「食べたい」のに「食べられない」なら認知の不協和で苦しいわけですが、「食べられない」けど「別に食べたくもない」なら、それは不協和でもストレスでもなくなるのですから。

私もよく女性にフラれた時などに、認知的不協和の解消に積極的に努めるようにしています。好きな女性にフラれた時、私の中には「あの人が好きだ」という気持ちと「でもつき合えない」という矛盾した認知が生まれるわけですが、そこで私はすかさず「その女性の短所や欠点をできるだけたくさんノートに書き出す」という作業を行います。足が短いとか胸が小さいとかメールの誤字脱字が多いとか笑い方が下品とかあんまり物を知らなそうとかこの角度から見たら全然かわいくないとか金遣いが荒そうとか酒飲みすぎとか、ついさっきまで好きだった人のマイナス面を、思いつく限り粗探しして並べます。

そして書き出したひどい短所の数々をじっくり眺めてみると、「うえ~、あいつってこんな欠点だらけの女だったんだな。こんな奴、全然好きじゃないよ。フラれて大正解だったぜ‼」と、感情と現実の溝が埋まり、見事に認知的不協和を解消できるというわけです。………………。どうや。最低やろう? これがモテないランキング10億位の実力やでぇっ!!! 俺がなんでここまで桁外れの成績を残せているか、思い知ったかワレぇっ(涙)!!!

とまあ、そんなふうに、人は認知的不協和を解消せずにはいられないわけですが……、そこでおじさんおばさんお年寄りは、ついつい「新しいもの批判」を行ってしまうんです。

私はファミコンを懐古&肯定すると同時に返す刀で最近のゲームを批判していますが、正直に白状しますと、私は最近のゲームをちゃんと理解しつつ批判しているわけではなく、単純に最新のテクノロジーやシステムについて行けないだけだったりするんです。自分が頭の柔軟性を失った結果、新しいものはなんだかよく理解できていないだけという。

この時に、「おもしろい(はずの)ゲーム」なのに「自分はついて行けない」となれば、それは認知的不協和としてストレスになります。でもそこで、そのゲームを「こんなものはグラフィックに頼っているだけで、薄っぺらいゲームだ!」と批判すれば、「自分はついて行けない」けど「そもそもたいしておもしろくないゲーム」だから、できなくて全然OK、ノー不協和、ノーストレス! ということになるわけです。人間、年を取れば取るほど新しいものを「あんなものはくだらん!」と否定したくなってしまうのは、こんな心の働きもあるからなんですね。

私たちの多くが、つい油断すると「昔は良かった、今はダメだ」の懐古主義に染まりがちになるのですが、悲しいかな、その思いを持つ理由はどれもあまりかっこいいものではありません。

「ネコにまたたび、人間に懐古主義」というように(私が勝手に言っている)、懐古は我々にとって麻薬のように魅力的なもの。しかし一方で「昔は良かった……なんて言ってたまるか!」と、若者と一緒に頑張って今を生きる人、そういう人こそが同性異性問わずモテるのだと、そういう人間になれたら私もきっとろくでなしランキング最下位から抜け出せるのだと、自分に言い聞かせながら私は今日もまたお懐古様の誘惑に屈するのでした。

文=さくら剛

本書では、こんなふうにユーモアをたっぷりと交えながら、あなたのハードな人生を攻略する手助けになるかもしれない22の主義・思想をご紹介しています。“生きづらさ”を感じているすべての人に、おすすめしたい一冊です!

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<本書の目次>

まえがき


Chapter 1 道徳
正しさについてどう考えるか


第1章 相対主義
新選組も女子レスラーも陽気なインド人も……、人間は万物の尺度である。

第2章 功利主義
ゾンビを入れるとどうなるの? 最大多数の最大幸福。

第3章 人格主義(カント主義)
「いかなる時も絶対にウソをつくな」というカントの教え、現実には実行不可能説。

第4章 利己主義
ここだけの話、ガンジーだってマザーテレサだって、利己主義の支配からは逃れられないのです。

第5章 利他主義
「4月生まれは3月生まれよりも成功しやすい」という残酷な法則と、利他主義こそが究極の利己主義である理由。


Chapter 2 組織
身勝手な集団をどうまとめるか


第6章 社会主義①
資本主義サーキットで危険運転をする若手起業家ドライバーを例に、平等な社会について考えてみましょう。

第7章 社会主義②
選抜総選挙からセンター争いまで……過酷な競争で苦しむAKB48に、ためしに社会主義を適用してみましょう。

第8章 資本主義
ショッカーが「打倒・仮面ライダー」の悲願を果たすためには、資本主義と社会主義のどちらが良い?

第9章 自由主義(リベラリズムとリバタリアニズム)
親ガチャも子ガチャも運次第。もしもあなたが大谷家に赤ん坊の翔平君として生まれていたら……

第10章 民主主義
「民主主義は最悪の政治システムだ」ってチャーチルさんが言ってましたけど……。それな。

第11章 ポピュリズム(大衆迎合主義)
「ラーメンの鬼」佐野実さんの評価は、ラーメンの味でするべきだ! 佐野さんの怖さでするべきじゃない!


Chapter 3 認識
曖昧な現実をどう捉えるか


第12章 合理主義と経験主義
目の前に突然大好物の麻婆豆腐がボヨヨンと降ってきたら、あなたは食べますか? 食べませんか?

第13章 スピリチュアリズム、オカルティズム
高杉晋作はあの世でも戦い続けるし、日本は再魔術化しているし。

第14章 愛国主義
北朝鮮に行き、現地の人々に「愛国心対決」を挑んだ私! 見事に、大敗いたしました!

第15章 テロリズム
いかなる理由があろうとも、テロは断じて許されないのである‼ (テロリスト談)
スリランカとパレスチナ自治区で考えたこと。

第16章 構造主義①
リンクくんが「ゼルダの伝説」の世界から抜け出せないように、私たちはこの世界の「構造」から抜け出せないのです。

第17章 構造主義②
なんとなく従っている伝統や習慣……もしかすると、そこには何者かの思惑が隠されているかもしれません。


Chapter 4 幸福
自分の人生をどう生きるか


第18章 楽観主義VS悲観主義
この社会の「ポジティブ推し」にひとこと物申~~す‼ ポジティブシンキング、がっぺむかつく!

第19章 幸福主義と快楽主義
幸せとはなにか? この人類永遠の問いに、哲学者たちが出した答えとは……。

第20章 清貧主義VS拝金主義
1日1杯のコーヒーを節約すれば家が建つかもしれないけれど、家を節約すれば毎日コーヒーが飲めるのです。

第21章 懐古主義
「最近の若い奴らは……」とついつい言ってしまう、私とあなたとジャッキーチェン。

第22章 実存主義
人間はなんのために生きるのか? アルカトラズの囚人を襲った、刑務所より恐ろしい「自由の刑」について

あとがき

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さくら 剛 (さくら つよし)
1976年静岡県浜松市生まれの作家。デビュー作の『インドなんて二度と行くか!ボケ‼ …でもまた行きたいかも』が10万部を超えるベストセラーに。以降、『アフリカなんて二度と行くか!ボケ‼ …でも、愛してる(涙)。』『三国志男』『(推定3000歳の)ゾンビの哲学に救われた僕(底辺)は、クソッタレな世界をもう一度、生きることにした。』など著作多数。相対性理論など科学の世界を解説した『感じる科学』は、理研創立100周年を記念した「科学道100冊」に選ばれるなど高い評価を得ている。

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