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【ココロコラム】ポジティブシンキングの光と影

「ポジティブに物事を考えよう」という風潮は、すっかり世の中に定着しました。
『本物の心理テスト』のサイトでも、「ポジティブに考えたほうが、物事はうまくいく」という実験や研究をいろいろとご紹介してきました。
ポジティブに考えたほうがいいのは、たしかなことです。

ただ、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、ポジティブ思考が行き過ぎて、逆に問題が発生している場合もあるように思います。
また、さまざまな誤解も生じているように思います。
ポジティブ思考をご紹介してきた責任もありますから、そのあたりについて、少し補足させていただければと思います。

ポジティブ思考の本質を、とてもよく表しているのが、次の言葉です。
「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た」(フレデリック・ラングブリッジ)

同じ状況におかれても、人によって見える景色がちがいます。物事のいい面に目を向けるか、よくない面に目を向けるか。それによって精神状態は、まるでちがってきます。

泥を見てますます気分を暗くしていたのでは、刑務所暮らしで身が持たないかもしれません。星の美しさに感動していれば、刑務所暮らしにも耐えていけるかもしれません。
「ポジティブに物事を考えよう」というのは、つまりはそういうことです。

ここで重要なのは、二人とも同じ状況にあるということです。
これが「二人が窓から外を眺めた。一人は刑務所の窓から泥を見た。一人は高級邸宅の窓から星を見た」というのでは、そりゃそうなるよという話で、比較になりません。それは誰でもわかることでしょう。

それなのに、その誰でもわかることを、つい多くの人がやってしまいがちです。
非常に悲惨な状況にあって、ネガティブになっている人に対して、もっと恵まれた状況にある人が「ポジティブに物事を考えないからだ」と言ってしまっています。

もちろん、言っているほうに悪意はないことも多いです。相手のためによかれと思って言っています。どんな状況にしろ、ネガティブに考えるより、ポジティブに考えたほうがいいはずで、だから、そういう忠告をしてあげているのだと。

でも、置かれた状況の圧倒的な力というものを、軽視してはいけません。「何が起きたか」ではなく「その出来事をどう受け止めたのか」が重要だというのは、たしかなことです。
しかし、「何が起きたか」が圧倒的な場合、「どう受けとめたか」という精神的な工夫や努力だけではどうしようもない場合もあります。
それなのに、さらに「ポジティブに考えないのがよくない」と言われたのでは、たまったものではありません。

このことは、最近、「自己責任」ということがよく口にされることにも、大いに関係しています。ポジティブシンキングの影の部分こそが、「自己責任」という考え方を生み、支える力となっています。
そのことについては、また次回に。

(津田秀樹)

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