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完璧主義者のワーママが婦人科で"無排卵"と診断されたら

「ストレスですね」

目の前のおじいちゃん先生は言った。
ストレス・・・ストレスで生理が止まったのかあ・・・

ストレス・・・

ストレス・・・ってなに。(この時点でゲシュタルト崩壊)


生理が3か月もこない、というのは今までなかった。
病院に行く前にいろいろ調べていたから、おそらく排卵が起こっていないんだろうとは予想していた。

でも実際に「無排卵です」と言われたときは、おおっとちょっとひるんだ。
一番心にずっしりきたのは、次の妊娠について言われたとき。

わたし「いまいま二人目をどうとかはまだ考えていなくて・・・」
先生「考えていないというより、このままだと考えられないよ

つまり、わたしはいま妊娠できる体ではないということ。
それが、結構、きた。


想定内の言葉だったはずなのに、面と向かって言われてショックを受けている自分に驚いた。
わたし、そんなに二人目が欲しかったんだっけ?

妊娠・出産は、生涯で何度とない奇跡の連続だと思う。
それをわかっているつもりでいたのに、一人目を無事出産した自分は「二人目を産むかどうか」を選べる立場にいると思っていたことに気が付いた。

いま仮に妊娠を望んでも、わたしのお腹にあかちゃんが来てくれることはない。
言葉は違えど、専門の先生に目の前でそう断言されたようで、それがずっしり重く降りかかった。

待合室にいる妊婦さんを見て、どこか遠い存在のように感じた。


それともうひとつ。

わたしは、自分の体がいま「正しい状態ではない」ということにもショックを受けた。

何事も「正しくありたい」わたし。
それはトリートメントの塗り方から、爪の整え方、座り方、話す・書くことば、などなどありとあらゆるものの「正しい」を求めてしまう。

「正しい」を知らないまま、あとから後悔するのがいやなんだろうな。
「正しい」を知ることで、自分を守っているんだろうな。

と、自己分析している。


そんなわたしが、自分の体が「正しい状態ではない」ということを知った。
しばらくボーっとしたあと、その足は本屋さんへ向かった。

こころがモヤモヤしてうまく言語化できない、だけどだれかに助けてほしいと思ったときは、私は必ず本屋さんに行く。

買いたい本を目当てに行くこともあるけど、こういうときは普段あまり見ないようなジャンルの本棚もじっくり見る。
そこで目に留まった本たちが、そのときの私を救ってくれる存在になることが多い。

今回お迎えした方々。選んだ本を見ると、そのときの自分の状態がわかっておもしろい。


処方された薬を飲めば、きっと生理はやってくる。
だけど、それだけでは根本的な解決にはならない。

「正しい」がすきなわたしは、問題の奥底から解決したくなる傾向がある。
学んで、実践して、しっくりきたら自分の生活にレギュラー出演させる。

それが、たのしかったりもするのだ。

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