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交流じゃないと定義してる

昨日、雨降りで時間があった
様々な作品を読み
前から憧れていたユーザーさんの活動を知り
嬉しいことも多々ある中で

コメント欄を見ていると
「言わなくていいのでは」に、ぶつかった

慇懃無礼な褒めを嫌悪するのも分かるが
「キツいことを言い過ぎじゃないのかな…」って
作品を書いたユーザーに何を求めているのだろう

わたしは過去、違う名前でnoteをやっていた
現在は三代目

初期アカウント時代
毎日繰り返し、同じ人から
「(作品が)つまらない」とコメントをされていた
(※たった一言「つまらない」)

大手企業や公的な統計データを参照した記事を書き
毎日つまらないとコメントをくれた人から
「私の肌感覚と違う」とお叱りを受けた

「データを基に」そんな反論が効く相手ではない
毎日、毎日、同じ人からのクレームは
面倒臭くなり、記事を下げた経験がある

わたしは言いたかった
「だったら、お前が面白いことを書け」
人を感動させろ、調べて記事を作成してみなって

他者の作品で「思うこと」があり
伝えることは、褒める限定じゃないのも分かる

クレームをいただいて自分が成長した経験があり
成長に至るクレームは「的を射ていた」から
気づきの得ない、ただの八つ当たりとの違い

他者のコメント欄もそうだった
作品に無関係なイチャモンは憂さ晴らしじゃないの

わたしの良識に「イチャモン」は
交流じゃないと定義してる
意見とイチャモンは違う
筋が通るか通らないか、正当な理由かどうか

コメントをすれば、喜ばれる
コメントの中身にもよる、とわたしは思う