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峻別できない人の暴力

独りよがりな認識の外では、誰も幸せになってない

小学4年のとき、同じクラスのちいちゃんが
クラスの女子を全員、自分の誕生日会に呼んだ
全員といっても17人
日頃、交流がない女子と打ち解けて
女子は満足感を得て、月曜日を迎えた

ところが、同日のホームルームで
男子の1人から
「誕生日会に呼んでもらえなかった人は傷つく」

女子は全員参加していたし
女子同士が目と目を合わせていた

この男子はホームルームでの発言が他の子より多く
わたしは苦手意識を持っていた

担任がどう判断したか、その後も含め忘れた


わたしが自分の言動を棚上げするなら
外野ほど鬱陶しいものはない

例えば、有名人が不倫や離婚する
それを匿名だからと叩いて名誉毀損することもそう

どこかで、いじめを苦にして自殺した子がいて
テレビ報道以外に情報がない
情報が出ても、週刊誌のネタや匿名掲示板での
根拠のない話で
「いじめっ子(仮)」を叩いてしまう出来事

関係者以外、真実は分からないことが多々ある
学校や教育委員会も把握できてない事もあり
それを、さも自分は真実を知るヒーローのように
自殺した子を取り巻く人を叩く


わたしの身近で起こった事を少し変えて伝えてみる
…大病を患い、生死を彷徨った友人がいる
友人は死を覚悟し、でも奇跡的に助かった

友人は自分の体験談を、同じ病いに苦しむ人へ
少しでも励みになるよう手記を書いた

その手記に対して、心ないコメントをした人がいて
友人は、心ないコメントを書いた人を非難した

ところが、そんな背景を知らない第三者が
非難した友人へ正論を吐いた
友人が「関わってほしくない」と苦言を呈しても
第三者は、友人へ正義の鉄槌を下した

人は、傷つけられたら簡単には
傷つけた相手を許せないもの 

自分で相手を許さないデメリットを体感して
改善していくのが
求められない正論より有効に思う


自分のブログなどで騒動を論じるだけなら
表現の自由かもしれない
しかし、相手のところで直接言ってしまえば
私刑同然の越権だろうと思う

炎上にせよ、落ち度がある方の自業自得は
頭では分かっているつもりだが
第三者の名誉毀損は、純粋な正義なのか
モラハラに通じるものを感じる

正義というのは、自分が正しいの自己主張であり
わたしが説明するまでもないが
Aという正義には
反対する立場のBという正義も発生する

第三者の正義が発射されると、誰にも止められない

第三者は事情を知らなくとも脊髄反射で
自分は正しいと免罪符を手に入れてしまう

正義という武器で、自分が悪だと見做した者を
なぶり殺す快楽に溺れる

第三者の正義を見るにつけ
首を突っ込まず、当事者間でやらせればいいのに
第三者の越権というより、峻別できていない人の
使命感に溢れた暴力

まるで、埋められない日常の鬱憤を晴らしている
行為にしか捉えられない


結局わたしは、過去やってきたことを
否定されたくないから、必死なだけ 
どう取り繕っても、わたしは加害者だ
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