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僕も『映画を早送りで観る人たち』と同じかもしれない。

映画を愛する者のひとりとして、非常に興味深い内容の本でした。

「こんなやついるのか……」と嘆息するのでなく、「ああ、もしかしたら僕も彼らと同じかもしれない」と怖くなるような感覚です。

稲田豊史『映画を早送りで観る人たち〜ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形〜』(光文社、2022年刊行)

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若者論の本ではない

タイトルから「最近の若者は……」という類のものだと想像する方もいるかもしれない。しかし、それは間違っている。

確かに本書では著者が取材した大学生のインタビューも掲載されている。本書では、テレビ朝日の平石直之アナウンサー(当時46歳)の「倍速で観ます」という発言も紹介している。このように、世代を超えて「映画の早送り視聴」というのはポピュラーになっている。

実際、僕の知人にこの本のことを紹介したら、「おれも早送りで観ていたことがあるよ」と話してくれた。彼曰く、「鑑賞はしていなかった。ただ『観たという事実』がほしかっただけ」とのこと。

教養ブーム、情報強者への憧れ、LINEグループの呪縛……

色々な要因があるだろう。そもそも映画の歴史というのは19世紀末から始まったといわれている。日本だと戦後の映画史から語られることが多い。必然、年長者はたくさん映画を観ている状態にあり、年が若くなるにつれ過去の作品に触れていないという割合が大きくなる。「映画のことを知らなくてはならない」という強迫観念。「情報」として映画鑑賞するためにも、早送り視聴は効果的 / 効率的な手段なのかもしれない。

作品とコンテンツ、鑑賞と消費

著者は映画を観るスタンスとして、「作品とコンテンツ」、「鑑賞と消費」という対比を示している。「『鑑賞』に紐づく『作品』という呼称と、『消費』に紐づく『コンテンツ』という呼称の違いは、“量”の物差しを当てるか、当てないかだ」という。

ゆえに当然ながら、ある映像作品が視聴者にとってどういう存在かによって、「コンテンツ」と呼ばれたり、「作品」と呼ばれたりする。どういう視聴態度を取るかによって「消費」なのか「鑑賞」なのかが異なってくる。新聞の価値を、食器の包み紙や廃品回収でのキロ単位引き取り額で測る人もいれば、世の中を知るための情報源と捉える人もいる、ということだ。(中略)
たしかに「消費」なら、10秒飛ばしでも倍速でも構わないだろう。それはファストフードの機械的な早食いや、咀嚼を省略した食物の流し込みと変わらない。目的はカロリー摂取だ。もはや食事ですらない。コンテンツを「摂取する」とは、よく言ったものだ。

(稲田豊史(2022)『映画を早送りで観る人たち』光文社新書、P27〜28より引用)

この部分を読んで、ドキっとした。

まさに僕は11月から「毎日映画を鑑賞する」と決めたわけだが、それは数(1日1本)をノルマ化して、それをただただ遂行している行為ともいえる。見方によっては、「映画の流し込み」と言われてしまうだろう。

ここで著者が紹介するのは、「エンタメで心が豊かになることなど求めていない」という言葉だ。情報がほしい人にとっては、映画で感動したり、心を痛めたりするのはノイズになる。

これは日々の報道を思い返すことで理解できよう。心を痛めるような凄惨な事件、それらにイチイチ反応していたら生活や仕事に支障が出てしまう。(共感を寄せることはもちろん大事なことだが)

ある意味で、これは編集者的な発想なのかもしれない。『ザ・クリエイター/創造者』という作品は、『地獄の黙示録』のオマージュシーンがある」と言われたとき、1979年製作のアメリカ映画「地獄の黙示録」を観ていなかったら話にならない。2時間半を超える大作だが、「他者と話を合わせ、”分かっているやつ”だと思わせたい」という目的のもとで2時間半を費やすと考えたら確かに“コスパが悪い”と言えなくもないだろう。

作り手も、早送り視聴を前提にしている

アニメ「鬼滅の刃」の初回エピソード。主人公・炭治郎は妹の禰󠄀豆子を背負いながら雪道を歩くシーンから始まる。

なんで、なんでこんなことになったんだ。禰󠄀豆子死ぬなよ、死ぬな。絶対に助けてやるからな。死なせない、にいちゃんが絶対に助けてやるからな

すごく丁寧だ。炭治郎の心の声がダダ漏れしている。こうした丁寧に説明を施した作品が増えており、それは「コンテンツを消費する人たち」を対象にしたものづくりになっているからだと著者は主張する。原因は、Amazon Prime VideoやNetflixなどのサブスクリプションサービスが増えたことだ。

なぜこんなことになっているのか。それはサービス提供者側が、ライトユーザー──リキッド消費の文脈における”ファンではない消費者”──をひとりでも多く新規会員に引き込みたいからだ。こと映画やドラマは、ライトユーザーであればあるほど話題の新作を観たがる。というか、世間で話題になっている新作以外は興味がない。

(稲田豊史(2022)『映画を早送りで観る人たち』光文社新書、P256より引用)

これはサービス提供者側の視点だが、作品の権利を持っている企業にとっても同様だろう。「サブスクでたくさん視聴されることで定率の料金が支払われる」という契約だったとしたら、視聴回数を増やすような方策が肝要になる。とすれば「作品をつくる」段階から、「鬼滅の刃」のようなライトユーザーに易しいものづくりというのが定番になってくるだろう。

YouTubeでは、「この動画は倍速で視聴できます」とわざわざ謳うチャンネルもある。これもまた視聴回数を増やすためのテクニックといえるだろう。世の中が「鑑賞」でなく「消費」へと急速にシフトしている証左ともいえそうだ。

──

個人的には「映画が好きな人」に読んでもらいたい一冊だ。

「あいつらしょうもないな」と対話を拒絶するのでなく、「映画を早送りで観る人たち」が何を考えているのかを知ることで、映画の未来について考えるきっかけになるはずだ。(本書を読めば、想像以上に「作り手」「受け手」双方が「早送り視聴」を求めていることが理解できる

また本書の感想は、Podcast「本屋になれなかった僕が」でも配信している。よければこちらもご視聴ください。(このPodcastは早送りで聴いてもらって大丈夫です。笑)

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