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不安や恐怖が、健全さを伴わないとき(映画「ボーはおそれている」を観て)

ホアキン・フェニックス演じる主人公ボウが抱える不安や恐怖。幻想世界の中で投影され、摩訶不思議なファンタジーとして描かれる。

絶対的な存在である母親への恐怖、遺伝的にセックスすると早死にするという思い込み。追われて追いつかれ、そしてまた逃れながら人生と対峙する中年男性は、滑稽ながら、ずっと痛々しい。

「ボーはおそれている」
(監督:アリ・アスター、2023年)

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本作は、世間的には「失敗作」と呼ばれている。3,500万ドル(約53億円)の損失というのは途方もなさ過ぎてピンとこないが、製作を手掛けたA24にとって振り返りたくない悪夢だろう。

だが僕は、かなり面白く鑑賞することができた。

確かに難解とされるが、あくまで本作は主人公ボウの不安や恐怖が幻想世界として投影されているに過ぎない。監督を務めたアリ・アスターの論理破綻でなく、主人公が論理破綻しているキャラクターなので、ただただ描かれていることに没頭しておけばいい。

「いやこれ、繋がってないでしょ」と思えたとしても、それがボウの頭の中で起こっている出来事なのだから仕方ないではないか。……という感じだ。途中でその仕掛けに気付いてからは、メモの手を休め、ただただ映画館のソファに身を任せた。本作くらい、気軽に眺められた映画も珍しい。

例えば、描かれる女性像は極めて歪だ。普通だったら、「男性監督の女性観が時代錯誤ではないか」といった批判の対象に挙がるのだが、本作において時代錯誤なのはボウという人間である。ボウがしょーもない人間だからこそ、歪んだ女性観を保持しているのだ。

実際、初恋の相手と再会を果たしたシーンはひどい(ボウがね)。

ボウに気付いた女性が、Uberでの帰宅を止めてボウを寝室に誘う。女性経験のないボウは「とても久しぶりだから」と見え透いた嘘をつくわけだが、女性は意に介さない。どんなにボウが情けなくとも、“理想的な”セックスへと至るのだ。ひどい。(繰り返すが、ひどいのは作品でなくボウである)

これは究極、どんな映画を作っても、「いやいや、これはキャラクターが勝手に脳内で描いたものを、映画という形で投影しているだけなんですよ」と言えてしまう。そんな映画ばかりだと困るわけだが、アリ・アスター監督はある意味で禁じ手を使ったわけだ。

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再三、「ボウがひどい」と書いたが、同じくらいアリ・アスターの意地の悪さというか、悪意を持ったデフォルメに苦笑いするしかない思いを抱くの事実である。しかし、結果的に許容できてしまうのは、あんなにも情けない「ボウ」から示唆される、観る者自身の「ボウ」なるものがあるからではないだろうか。

おれの中に、ボウがいるかもしれない。
私も、気を抜くとボウ的な存在になってしまうかもしれない。

ボウが情けないのは、彼が抱えている不安や恐怖に健全さが伴わないからだ。「将来が何となく不安だ」「この意思決定がいずれリスクになるのではないか」といった状況は、ある意味で一般化できる不安や恐怖であり、それは即ち健全さを伴うものといえるわけで。

だが、えてして、健全と不健全は表裏一体だ。

健全っぽくコーティングされた不安や恐怖も、外側をきれいに磨いていけば、無計画で自分勝手な不安や恐怖に様変わりする。実に不健全で、しょうもない。でも、それが人間じゃないかとも思うわけで。

ボウは、ボウだけのキャラクターではない。
ボウの母親もボウなる存在であったし、ボウを八つ裂きにしようとした男もまたボウなる存在であった。万人が、ボウなる存在であると言えるのではないだろうか。

なかなか3時間の長尺を「映画」という形で作り上げるのは難しい。でもきっと「ボーはおそれている」は3時間でなければならなかったのだろう。世間でいくら駄作の烙印を押されても、製作会社の経営が傾いたとしても、やり切ったアリ・アスター監督の勇気は褒めるしかないように思うのだ。

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「ボーはおそれている」の鑑賞後、思い出したのは北野武による最新作「首」である。

「首」は高次元の笑いを「映画」という形で結実させたものだが、「ボーはおそれている」はどちらかといえばスリラー色を強めている。僕自身が滑稽さを感じてしまったので、「首」との共通点を見出したのだが、スマッシュヒットを狙うのであれば、「ボーはおそれている」もコメディに振った方が良かったのかもしれない。

いや、まあでも、僕はスリラー要素があったから面白く鑑賞できたのですが。映画って面白いけど、なかなか難しいものですね。

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