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むかしの仕事日記より

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色々な時代の仕事日記をランダムに
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記事一覧

昔の仕事日記より ~ 2006年9月6日~

9/5(火)「長崎シーボルト大」に仕事の打ち合わせに行って来ました。 ある教授の方の研究資料(冊子)に挿し絵をつけるためです。 久しぶりに大学の空気というものを味わいうれしかったのですが、まだ学生達は夏休み中ということでキャンパスはひっそりとしていました・・・。 それにここは自分の出た大学とはかなり違って、建物や敷地はすごくきれいだけど、なにか「生活感」のない感じがして少しさびしいと思いました。 教授とは「長崎の教育について」など話が盛り上がりました^^ (元記事投稿:200

昔の仕事日記より ~ 息子が骨折した時のこと

この前の土曜(2010年11月)、子どもがボールを蹴った瞬間に激痛がはしったようで、うずくまりました。 翌日、足をつけないくらい痛みが増していたので、休日当番医院を探して連れていくと、どうやら足の骨にひびが入っていたようでした。 と、ここまでは問題ないのですが、その初めていった病院では、松葉杖を貸し出しするのに、「万一返さないこともあるので、5000円おいていけ」と言う。で、「松葉杖を返したら返金する」と。 実際に返さなかった人がいるのかと問うと、古ぼけたノートを看護婦さん

昔の仕事日記より またひとつ姿を消した故郷 ~ 大黒・恵美須市場撤去 2013年03月20日

2012年3月末をもって閉鎖された大黒・恵美須市場。 その後長い間立ち入り禁止という状態が続いていましたが、平成25年になってから遂に解体・撤去されました。 行政に関しては今更このトピックで云々言う気はありません。 でも、一年前の同地はこのようになっていたわけで、どちらが「長崎」の街として親しみが持てるかなぁと思ってしまいます。 まぁその論争も他に譲るとしても、下の画像にあるように、ここには長年「ヒトの暮らし」があり、雨が降れば、家族の傘が並ぶ・・という日常の光景が見られま

昔の仕事日記より 「何もない日常・・・」

「何も無い日常」がいかに大切で尊いか、ということを今回の震災は教えてくれる・・・・数日前、ラジオから流れてきた言葉です。 穏やかな春の一日。 バイクで長崎市南部を走っていると、「愛と平和」というレリーフの埋め込まれた家族の像と、その脇で落ち葉を掃いているヒト・・・。 「お疲れさんです」と声を掛けると、「ああ、どうも」と。 何の見返りも注目も期待しない行い・・なんですね。 市民病院から帰ろうとすると、歓迎遠足らしい小学生たちの一行が、通り過ぎて行きました。 黄色い帽子で、新

「ハリーとトント」 ~ 昔の仕事日記より

軍艦島のツアー・ガイドとして、毎日軍艦島に通っていた頃。 大変だったけど、楽しかった。 子どももまだ幼くて、充実した日々だった。 「ハリーとトント」は、昔からお気に入りのロード・ムービー。 近頃は、私がすっかり「ハリーとトント」のようになってしまったと嫁さんから言われる。

昔の仕事日記より 2009年09月07日

県外の専門学校に通っている娘が、帰省後帰った後の寂しさは、いつまで経っても慣れない。 長年慣れ親しんだ店が無くなってしまう虚しさも続いていて、日記を見返してみても、どの店のことだったやら、思い出せない。

昔の仕事日記より ~ 2007年6月29日

*** JR道ノ尾駅は、「無人化」されて、駅長さんは、いなくなってしまいました。 「駅長ネコ」のネルも、高齢化の為、篤志家に引き取られていきました。 数年前、時津のパン屋が駅舎に入居しましたが、あっという間に潰れました。 最初から無謀な計画でした。 教え子、M君のこと。 この時葬儀場で、声をかけた私に、M君は私に抱き着いて泣きました。 教師人生の中で、私の胸の中で泣いたのは、M君ただひとりでした。 あれから、もう16年が経ちますが、彼はどうしているでしょうか? そんな彼を

昔の仕事日記より ~ 2008年3月31日

*** 残念ながら退職された保育園の娘の担任の先生のことを忘れてしまった。 退職の時、転任の時はもちろん。一年間担任をしたクラスの年度が終わることでさえも、大変さびしいものである。 3月の終業式のあと、私はよく片付けの済んだ自分の教室に足を運んだ。 教室に近づくにつれ、聞きなれた「ワイワイガヤガヤ」。 「こら~、なんばしようとか!はよう、席につけ!」。 言葉にすると、優しくないが、それは半分笑いながらのセリフであったと思い返す。 窓からの見慣れた景色。 すっかり取り

仕事日記より 「 閉店売り尽くしセールで買った、「カッパのカータン」の箸入れ 」(2011年10月03日) 」

(2011年10月03日)記述: 幼い頃、過ごした街。長崎市住吉の商店街にある個人商店がまた、店を閉めました。 オレンジ色の看板には「52年間、長年のご愛顧ありがとうございました」と書いてあります。 昭和33年に創業されたお店です。下の写真は昭和32年の住吉ですから、ちょうどこのような街なみの時代にお店を始められたということですね。まだこの街に映画館や銭湯があり、賑わいのあった頃です。 お店を覗いてみると、在庫の品物をほとんど、投げ売りのような値段で販売されていました。

長崎市民エフエム時代のネタ 「昭和型九州人度チェック①」

この頃、こういうのばっかり考えていた! *くしゃみした後、「大魔王!」と独り言を言ってしまう。 *香りのインセンスに火を付けた後、手で煽いで消してしまう。 *「メジャーリーグ」よりは、「大リーグ」 *自分の生まれ年と同じ路面電車に乗ると、嬉しくなってしまう。 *「ゆく年、くる年」を見ないと、年越しをした感じがしない。 *時々、「やめてけ~れゲバゲバ♪」と唄うことがある。 *時々、「弘前の、おばーちゃん。のしけらべらん♪」と唄うことがある。 *時々、「あっとおど

仕事日記より 「 大黒・恵比寿市場 」(2009年10月07日) 」

この時、旧NBCの裏手にある駐車場に車を停めたので、大波止から帰る途中、娘をおんぶしたまま、岩原川の上にあった「大黒・恵美須市場」の間を通り抜けて帰りました。 この日の日記のごとく、市場内は静かでしたが、まだまだ開いているお店もあり、娘も興味津々と言った感じでした。 私も一時の疲れを忘れ、楽しい帰り道となりました。 あれからもう13年。5歳だった娘は、18歳になり長崎を離れました。 娘が帰郷したとき、この市場のような「懐かしい長崎の街」は少しずつ姿を消してゆきつつあります

仕事日記より 「長崎の人とは?」(2008年5月9日)

つらつら考えるに・・・ラジオと教師の経験は自己の人間性を向上させる?!のにはよかったのだと思います。 それは色々な障壁に遭遇した時に痛感するものなのですが・・・・・・。 先週日曜の「福山雅治のTalking FM」の放送内容は「長崎」「仕事」「自分のやりたいこと」について、大変秀逸な内容でした。いつもMDに落として仕事中聴いているのですが、保存版的な価値も持つものでした。 ラジオで話された言葉というものは「形」としては残らないのですが。 その後考えたこと・・・・・・・・

仕事日記より 「好きに特化するから、人と繋がる」(2008年05月07日)

少しは稼業の宣伝になるか?とせこい考えもあって始めた、地元コミュニティーFMのラジオ番組。 リアルにリスナーなんて、まったくいなかったけど、こういう日記を読むと、「リスナーなんていてもいなくても、自分にとっては大きな見返りがあったんだなぁ」と今更ながら思います。

仕事日記より 「 勝山市場の鶴田おばあちゃん 」(2008年04月01日)

長崎市の路面電車が、現在の桜町付近を通過する時、今のようにトンネルをくぐり抜けるのではなくて、まだ「なんか(長い)岬=長崎の地名の由来という説もある」の丘をうんうん言いながら登っていた、その軌道跡にできた勝山市場。 その市場も、まだこの頃は2~3割の店舗が頑張って営業していたのだなぁと思う。 その最上部にあった「鶴田商店」の久子おばあちゃんは、うちの子どもたちにとって、近くにいない実際の祖父母よりも、「身近なおばあちゃん」だった。 たまにしか行かないのに、いつも顔を覚え