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日系アメリカ人俳優、ジョージ・タケイの強制収容体験(They Called Us Enemy) | きのう、なに読んだ?

アメリカのマンガ「They Called Us Enemy」を読んだ。ジョージ・タケイが太平洋戦争中に経験した、日系アメリカ人強制収容のことを中心にした回顧録だ。

著者のジョージ・タケイは、日系アメリカ人の俳優だ。私の世代の人なら、テレビシリーズ「スタートレック」のスールーだと言えば分かるだろうか。宇宙船エンタープライズ号のパイロットだ。ウィキペディアには、日本語吹替版では役名は「カトー」になっていたこと、アメリカのテレビシリーズにレギュラー出演したはじめての日系アメリカ人であり、アジア系としてもブルース・リーに次いで二人目だったことが書いてある。

ジョージ・タケイが4歳のとき、太平洋戦争が始まった。両親はロサンゼルスでクリーニング店を営んでいたが、1942年、ジョージが5歳の時、一家は日系アメリカ人の強制収容所に送り込まれる。ルーズベルト大統領の大統領令9066号により、西海岸に暮らす日系アメリカ人だけ、銀行口座を凍結され、全財産を取り上げられ、人里離れた収容所に送られた。そして戦争が終結するまで3年、鉄条網に囲まれ粗末なバラックで生き抜いた。

ジョージ・タケイがこの経験を語った TED スピーチがある。

このマンガは、スピーチの内容をぐっと拡充したもの。収容所での生活の様子や、日系アメリカ人の取り扱いが政府の方針で都合よく変わっていく流れが詳しく描かれていた。

中には、私がこれまで全く知らなかったこともあった。1944年、米国に忠誠を誓わない米国市民に、国籍を放棄する「権利」を付与する法律が施行された。この「忠誠を誓わない」の確認の仕方にさまざまなトラップがあった。結果、多くの日系人が「アメリカ国籍を放棄し、不自由だけど戦時下においては身の安全が保たれる収容所に、住み続ける」か、「アメリカ国籍を維持し、収容所を無一文のまま追い出されるリスクを負う(あるいは従軍する)」の選択で悩むことになった。ジョージ・タケイの母は日系二世でアメリカ国籍を持っていたが、夫は十代のときにアメリカに渡った移民一世でアメリカ国籍はもともと持っていない。母は悩んだ末、アメリカ国籍を放棄することを選んだ。そのため終戦後、日本へ送還されることとなってしまったのだ。支援弁護士のおかげで、出発2日前という間一髪のタイミングで、送還はいったん見送りとなり、一家はアメリカに残った。しかし、ジョージ・タケイの母はその後、いったん放棄した国籍を取り戻すのに長年苦労することになる。

1945年8月6日、広島に原爆が投下された。ジョージ・タケイの母の一家は親族は広島出身で、カリフォルニアで一定の財をなしたあと、広島に帰国していた。母自身もいったん一緒に帰国して広島で教育を受け、改めて渡米したのだ。原爆投下を知り、ジョージ・タケイの母は、両親やきょうだいの安否が分からないまま、強制送還を覚悟したり、無一文から一家の暮らしを立て直していった。

私も気になって調べてみたら、広島で被爆したジョージ・タケイの母の姉、つまりジョージ・タケイの叔母は、生き残ったことが分かった。反核運動家で、ICANがノーベル平和賞を受賞したときメダルを受け取り受賞演説をした、サーロー・節子さんだ。

本書の終盤では、ジョージ・タケイが戦後、自分の収容所経験を理解しようとする道のりが描かれている。戦後のアメリカでは、日系人強制収容の事実がなかったことにされ、教科書や公文書ではなかなか実態が分からなかったこと、そんな中でもジョージ・タケイの父は民主主義への信頼と希望と責任感が揺るがなかったことが印象に残った。

日本でもアメリカでも、あまり広く知られてない、太平洋戦争の物語だ。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(picture by Thad Zajdowicz)

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