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花びらオートクチュール

年明け、テレビも見飽きたし、福袋目当てにデパートにでも行こうか。
なんだかんだと言っても、福袋にはどうも心が躍る。
若い頃にはお気に入りのアパレルブランドの福袋は必ず手に入れたけれど、
年を重ねて、ここ数年は少しいいキッチン用品や寝具の福袋を買っている。
今年はどんな福袋が出ているかしら。

日常の忙しなさから少し距離が取れる年末年始は、
だから外出の準備にもゆとりができる。
いつもよりゆったりと華やかな気持ちでメイクアップして、
リップには深みのあるローズ色を差そう。
ロイヤルブルーのニットの下に白いロングTシャツをちらりと覗かせて、グレーのスラックスを合わせる。足元は白いスニーカーにしよう。まっさらで清々しい一年のはじまりを楽しめるコーディネートにまとまったような気がして小さな嬉しさが宿る。

家を出て、最寄り駅までの道を歩く。
三が日というだけで、空気に少し静謐さを感じるから不思議だ。
この石垣の曲がり角の椿の花、こんなに鮮やかだったかしら。
あら、茶トラの猫さん。新年早々、凛々しいわ。
普段は見過ごしがちな風景を眺めながら、駅に着く。たまには紙の切符を買って、時刻表を見ずにホームに電車が入るのを待とう。
少し離れたベンチで、久しぶりの再会とみえる祖母と孫が、楽しそうにおしゃべりしている。
やってきた電車に乗って、窓の外を眺めながら数駅。通いなれたデパートのある駅で降りる。
人出の多さに新年の賑わいを感じながら、デパートへの道を歩いていると、おや、こんなところにこんなに素敵なお店があっただろうか。
真鍮の看板とあめ色の木材、新しいお店には見えない。門松のように活けられた花が瑞々しい。
いつもは気が付かずに通り過ぎていたのだろうか。
今日は時間もある。福袋が売り切れてしまったらがっかりするだろうか、という考えもよぎったが、それもいいだろう。
そんな思考を巡らせながら、手はもう店の扉に触れていた。

「ようこそ、ラッキーなマダム」
店の奥からだろうか、歓迎の声が聞こえる。
少し変わった挨拶だけれど、なんだか愉快だ。
深みのあるあめ色の木材のせいか、店内は少し薄暗く感じる。
と思ったのもつかの間。
目の前に英国の裏庭を思わせるような、緑と色とりどりの花々が広がっている。
あまりに現実味のない展開でありながら、しかし目の前の光景と私が踏みしめている土の感触、みつばちの羽音に植物たちの香りは、あきらかな現実だった。
家を持ったとき、イングリッシュガーデンに憧れて色々と調べたことがある。その時、様々な花が自然な様子で咲く庭はコテージガーデンと呼ばれることを知ったが、目の前の光景はまさにそのコテージガーデン、それも私の憧れたコテージガーデンそのもののようだ。

目線はおのずと、散りばめられた花を追う。黄色にクリームを混ぜたようなやわらかな色で咲き乱れるあの花は、バラの一種だろうか。小学生の頃に薄紙で作った花を思わせる大ぶりの華やかなあの花は、きっと私が好きなアブラハムダービーだろう。コスメであったならサーモンピンクともコーラルピンクとも表現されそうな温かみのある色合いも素敵だ。
庭を歩きながら、咲き乱れる植物に目移りする。

これはきっと、ジキタリス。子どもが幼い頃によく見た教育番組で『のっぽさん』と呼ばれていた彼が被る帽子を細長くしたような花がぶら下がっている。イングリッシュガーデンの本をめくっていた私のそばで子どもが「虫さんたちの帽子になるかな」と言った愛らしいコメントがよみがえる。

マリーゴールドにパンジー、コスモスも咲いている。ローズマリーやミントといったハーブもこの庭の賑わいと明るさに欠かせない。
自然さと美しさが同居する庭だ、と思いながら深呼吸をする。心いっぱいに、この庭の空気を吸い込むように。

「実にお似合いですよ」
どこかから、あの店員の声が聞こえる。ふと足元に視線を落とすと、丸い縁取りメガネをかけて杖を持ったアリが、私に話しかけていた。アリ男爵といった風情だ。
そして視線の端に映る、サーモンピンクともコーラルピンクとも表現しきれない絶妙なニュアンスを帯びた色のスカート。確か、家を出てきたときはパンツスタイルだったはずだ、と頭のどこかで微かに思いながらも、先ほど目を奪われたアブラハムダービーたちの色合いすべてをバランスよく取り入れたような素晴らしい色合いにただただ見とれる。形は、ジキタリスの花ひと房をもっとふんわりと広げたかのようだ。

「三が日にだけオープンする当店に辿り着けたマダム、実にラッキーです。今お召のスカートは、この庭からできた、今のあなたのためのオートクチュールですよ。」
アリ男爵は言う。
私の頭の中では、最近の、責任ある仕事をこなしながら忙しなく日々を過ごす私自身の姿が走馬灯ともロードムービーともつかぬ速さで流れている。そして思う。
あぁ、このスカートを纏った私ももっと生きるなら、今年はもっと良い一年になるだろう、と。

「ありがとう、とても素敵な一年になりそうです。」
私はこの庭とオートクチュールのたっぷりとした広がりを感じながら、アリ男爵に心からのお礼を言い、店を出た。



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