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消えた連続殺人鬼(当時8歳)

現代、日本では
性善説は、
「人はみな生まれながらにして善である」
という楽観主義。
性悪説は、
「人はみな生まれながらにして悪である」
という悲観主義といった意味合いのみで
広く使われている。
しかし本来は、
楽観主義や悲観主義だけではなく、
どちらも「教育の重要性」を主張するための説だった。
さて、この説を正しいとするならば
彼は教育で変わるのだろうか。



1998年、インドのビハール州ムシャハール村に彼は生まれ、貧困家庭で育った。
だがその、生い立ちについての詳細は不明となっています。

彼の名前はアマルジート・サダ(Amarjeet Sada)

2006年、7歳になった彼が初めて殺害したのは6歳の従姉妹だった。
そして、その直後に生後8か月だった自身の妹までも殺害しました。

アマルジートの家族は、この2つの殺人の犯人がアマルジートであることを知っていましたが、警察には通報せず内々に処理しました。当時、これは「家族の問題」として公にされなかったのです。

2007年1月、8歳になったアマルジートは、また人を殺害することになります。
三人目の被害者となったのは、彼の家の近所に住んでいた生後6か月の女児であった。女児の名前はクシュブーという。
クシュブーの母親は娘を学校に預け、家で休息を取ってから、引き取りに戻ったところ、娘がいなくなっていることに気づきました。
すでにこのときにはアマルジートが誘拐していたのです。
その後、近くの畑に連れて行き、首を絞めて草の上に寝かせました。
近くにおいてあったレンガを手に取ると、クシュブーをレンガで激しく殴りつけ頭を砕きました。
そして、掘った穴にクシュブーの遺体を転がし草と葉を覆いかぶせました。

この3人目の殺害については身内外だったことで、女児の母親が警察に相談することになります。
そして過去の犯罪を知っていた住民たちも加わり、アマルジートを問い詰めたところ、犯行を認めたのです。

ついに凶暴性が発覚したアマルジートは8歳にして、3件もの殺人罪に問われることになりました。
アマルジートは、犯行を認めたものの、罪の意識はおろか反省もまったくしていませんでした。
当時の取り調べを担当した刑事は「アマルジートは3人とも同じ方法で殺害している」と述べています。
アマルジートは子供たちを人目につかないところに連れて行き、息絶えるまで石やレンガで激しく殴打して殺害したと、犯行の経緯を躊躇うことなく、時には笑みを浮かべながら語ったといいます。

そして、アマルジートは警察の厳しい尋問に対し「ビスケットを食べたい」と要求していたことが明らかになっています。

こうして世界最年少、当時8歳という若さでアマルジートは連続殺人犯として、世界に知られることになりました。

犯行動機すら見えてこなかった3件の殺人事件について『The Times of India』(英字新聞としての発行数世界最多)ではアマルジートに対して、
「傷口の血を見て快楽を覚えるサディスト」という表現が用いられました。

その後に行われたアマルジートの精神鑑定によると、彼は「行為障害」を患っていたと診断されました。
行為障害は「素行障害」とも称されています、喧嘩、動物虐待、他人の所有物の破壊、放火、窃盗、虚言、家出など反社会的な行動を取ることが特徴とされ、年齢相応の社会規範や世の中の常識から大きく外れた者が、反社会的で攻撃的な行動を繰り返すことを指す障害です。

法律上、低年齢者に刑罰を与えることはできないため、インドの少年法によりアマルジートは18歳まで児童養護施設で監視が続けられることになりました。
彼は個室で、他の子供とも触れ合わないような環境に置かれていたと言われています。
2016年、アマルジートは18歳になり出所の動きがあったはずですが続報もなく、詳しいことはわかっていません。
そして2023年、彼は現在行方不明となっています。

近年では連続殺人、猟奇殺人事件を起こすような犯罪者について、脳波、精神状態、家庭、生育環境などを分析して、人格上の障害に分類する研究があります。

当時、脳科学、犯罪者プロファイリング、精神心理学、法曹界ほか、多くの研究者や専門家から強い注目を集め、世界中にその名を知らしめたアマルジート・サダ。

彼は一体何処に消えたのでしょうか。

 

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