『公害スタディーズ』 ~誰の責任なのか~
『公害スタディーズ』を読んだ感想や意見交換をする場が開かれて・・・
そこで考えさせられたことをトピックごとにシェアしたいと思います。
第1回 ~誰の責任なのか~
公害と言うと、水俣病やイタイイタイ病などがよく知られていますが、
公害と向き合うときに難しいと感じる一つに、これらの出来事はどうして起こってしまったのか、誰に責任があるのかという問題があると思います。
患者さんの話、工場で働いていた従業員の話、行政職員の話・・・
公害にかかわる人たちの話、意見が違っていたのです。
つまり立場が違えば意見が異なるということです。
患者さんやその家族にしてみれば、工場に恨みを持ち、責任追及したくなるわけですが、
従業員や会社としては、歯止めをかけなかった国に問題があっただろと主張します。
また行政機関の方でも公害の事実を知らずに従事していたという方もいました。
裁判では責任の所在を争い、決着がついているものもあります。
水俣病では国と県が認めました。
しかし、私は、一方方向で解決する問題ではないと感じています。
ここで私が一番言いたいのは、公害が起きてしまったのは、
究極的には“一人ひとりの意識”に問題があり、原因がそこにあるのではないかということです。
資本主義が行き過ぎていることや自然との断絶方向に向かっていることなども影響していると思います。しかし本来の人間のあり方のようなコアなところで起こっている変化もあると思っています。
多くの人がこう言います。
「公害は昔の話ではない、今も続いている」と。
(かすみ)
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