エテルネル

環境教育にまつわる話を書いていきます  インスタではカフェメニューを載せています⁡

エテルネル

環境教育にまつわる話を書いていきます  インスタではカフェメニューを載せています⁡

最近の記事

Cocoro

私は人に会うのが苦手だ 緊張するし何話していいか分からないから なるべく人に会うのを避けたい そう思ってきた 今もそうである しかしなぜ人を目の前にすると緊張したり不安になったりするのか 私の中で一番大きく占めているのは 相手にどう見られているのかということだ 極めて見た目やしゃべり方でどう見られるのかである 何をそんなに気にしているのかと言われるが本人としては頭からこのことが離れない 方向を変えると、話の“内容“やその人の”人柄”を第一に考えられていない

    • 今だからちょっと考えてみたい事

      人は心に破壊を持っているという話。 自己を破壊するのを防ぐために他者を傷つけるという フロイトの生と死の欲動。 精神科医の先生に 自分の気持ちに蓋をすると病気になると教えてもらった。 自分の気持ちに正直になると、破壊の心はどうなるのか。 それは何かで蓋ではなく包み込み、変化させることはできないのか。 考える。考えてる最中。 だけど、 "愛を知る" ということは一つ答えとして持っている。 これは経験を通してでなければなかなか実感しないものだと思うが、これはある

      • 環境とは何か

        環境という言葉を聞いて、皆さんはどんなことをイメージしましたか? 私は以前、環境と言えば、森林伐採の問題、海洋生物の危機、など地球の自然破壊的なところで話される事柄しかイメージが付きませんでした。 しかし、環境教育という分野に触れるようになってから、「“環境”とは何か」を考えるようになりました。 そこで学んだことは、“環境”という言葉一つを取っても、 自然や人、人との関わり合い、生活圏、物、歴史、 私を取り巻く“全て“ が含まれているということです。 こうやって捉

        • 【文字としてだけではないことば】

          こんな場面があった。 私が悩み、苦しみを抱えている時、それをAさんに相談した。 Aさんは、「あ~そういうことってよくあるよね。でも大丈夫。」と言って、 差し出したのは、“ある励ましのエッセイ“だった。 皆さんならどう感じますか? まず、私、の立場で思ったことは、より辛い気持ちになったということです。 なぜかというと、このやり取りの中に私が抱えている気持ちはAさんに引き取ってもらっていないと感じるからです。 “私の心が置き去りにされている”感覚。 次にAさんのことばに着目

          新しい庭と秋虫

          引っ越しをして小さな庭がついてきた。今までは集合住宅の二階から見下ろしていたが、今は同じ平面に庭が広がる。右隣も左隣にも緑鮮やかな芝生がふさふさとして、休日には芝刈り機で伸びた芝生を刈っている。「元々はどのお宅の庭にも芝生が植わっていたようですよ。」と右隣の奥さんが教えてくれたが、我が家の庭には雑草が生い茂っているのみである。前の住人が芝生を好まなかったのか。今植えようにもこの暑さで枯れてしまいそうだし、そもそも芝は春に植えるものでこの時期に売ってはいなのかなとも思う。とはい

          新しい庭と秋虫

          【教えることの出来ないこと】

          ~前 基督教独立学園高等学校校長             安積力也先生のお話~ 安積先生は、教師をやればやるほど、悔しいけれども認めざるを得なくなった「事実」があると言う。 それは、一番教えたいこと、分からせてあげたいことが、実は「教えることが出来ない」という本質を持っていること。 科学的な真理は、言葉を持って教えることが可能である。 しかし、「生きること」に関する真理、つまり愛や思いやり、希望、感謝、信仰、勇気、自尊心などの「人格に関わる真理」はどんなに言葉を尽くし

          【教えることの出来ないこと】

          ~自然なるものと文化的なもの〜

          子どもと大人はどこかで区切って見られる。 それが年齢なのか、その人の立ち振る舞いなのか、よくわからない。 けれども私自身、いつからか自分はもう子どもではなく大人になったと思うようになった。 それは、あらゆることに対しての考え方が変わったということのように思う。 世間的にはどうかとか、自分はコミュニティの中で、あるいは人生の中でどの位置にいるのかなど俯瞰して物事を考えることが増えた。 自分の創造性や私固有のものを見失いやすい環境に自らの身を持っていってしまっているように

          ~自然なるものと文化的なもの〜

          『公害スタディーズ』 ~誰の責任なのか~

          『公害スタディーズ』を読んだ感想や意見交換をする場が開かれて・・・ そこで考えさせられたことをトピックごとにシェアしたいと思います。 第1回 ~誰の責任なのか~ 公害と言うと、水俣病やイタイイタイ病などがよく知られていますが、 公害と向き合うときに難しいと感じる一つに、これらの出来事はどうして起こってしまったのか、誰に責任があるのかという問題があると思います。 患者さんの話、工場で働いていた従業員の話、行政職員の話・・・ 公害にかかわる人たちの話、意見が違っていた

          『公害スタディーズ』 ~誰の責任なのか~