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『「日本」を捨てよ』:日本に潜む不平等の真実(儒教・監視・差別)

「日本」を捨てよ』、それは苫米地英人氏による挑戦的な本。

この書評ではその中身に迫り、なぜ日本人が「日本」を捨てる必要があるのかを考えてみたい。

我々は日本人としてのアイデンティティに縛られており、その枠から解き放たれることで、新しい可能性に気づくことができるかもしれない。

儒教の思想

苫米地氏は儒教の影響に焦点を当て、仏教との関係に独自の視点を注いでいる。

仏教はもともとバラモン教の差別意識(賎民の子は賎民)に否定して生まれた。

釈迦の教えは、前世差別やカースト制度とは反対のもの。

仏教が出家を修行の前提としていることことからも、仏教は極めて「個人主義的」な性格の強い。

ところが、中国や朝鮮を経由して日本に伝わった仏教は、儒教の影響を受け、仏教としての純粋な教えとは異なる方向へ進化してしまった。

儒教の教えとは何かというと、「先祖崇拝や霊魂信仰」。

これらは仏教の本来の教えとは異なるものだ。

そして、儒教の政治思想では「君子による支配が理想」とされ、人民の主権や自由が否定され、一握りのエリートが主権を握るべきだとされている。

これが、日本社会における階級意識や統制の要因となっている。

まとめると以下のようになる。

バラモン教:前世差別、生まれに縛られるカースト制度
本来の仏教:バラモン教を否定、前世や出生は関係ない個人主義
日本に入ってきた仏教(じつは儒教):先祖崇拝、霊魂信仰、君子による支配が理想、一握りのエリートが主権を握るべきという考え

相互監視社会(パノプティコン)

日本は同時に、中国や韓国とは異なる縛りが存在する。

それが「相互監視社会」だ。

それは日本という土地が険しい自然にはばまれ、それぞれの村や町での往来がしずらかったことに由来する。

長く同じ場所にとどまる人が増えたことでうまれたのが、「村八分」といった社会的制裁だ。

それにより、住民たちにとっては、神の目よりも「隣人の目」が気になる。

個人の自由な発言や行動が制限されている。

もしも「暗黙の決まり」を破ると、自分だけではなく、家族までもが「村八分」にされてしまい、生きていけなくなってしまう。

士農工商の考え方

「お客様は神様」ということばは誰でも聞いたことがあるだろう。

この考え方自体が、商人に対する蔑視を示唆している。

これは「士農工商」の考え方だ。

職業によって、平等が担保されていない側面を浮き彫りにしている。

さらに士農工商は、「何も売らない職業である役人が日本で1番偉い」とされる風潮と表裏一体をなしている。

このような価値観が、ビジネスや社会において、特定の層の優越性を育んでいる。

おわりに

EU市民はEU内での自由な移動が可能であり、自分にあった政府を、自分たちで選ぶことができる。

苫米地氏は、日本も同様に自分たちで政府を選び、新しい枠組みを築くべきだと訴えている。

現在の日本は、経済が停滞し、いままでのやり方では通用しない「衰退」の時代に突入している。

その状況を打破するためにも、いま一度自分たちが縛られているもの振り返り、新たな一歩を踏み出す覚悟が必要だ。

自らの意志で未来を選び、築くためには、自由な発想で未来を切り拓いていくべきといえる。


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