見出し画像

誰得ドット絵『毒の沼地』

以前描いた"微妙な角度"のマップに新しいパーツを足していこうと思っていたのですが、ついついサボってしまっていました。建物か、地形か。なにを作ろうかな~と悩んでいるうちに時は過ぎ去り、季節も移り。

ええい、そんなに迷うくらいならタイミングで決めてしまえ! ということで、ちょうどいいので(?)再開一発目は『毒の沼地』としました。 

毒は緑色?

先日、「日本では毒といえば紫だが、海外(欧米)では緑だ」という話題を見かけたんです。ゲームの毒ステータスアイコンとか、魔法エフェクトなどのことですね。「海外では、毒は緑色」というのは海外産ゲームを遊んでいると、たしかにそのとおりだと感じます。

きちんとした由来を調べてはいませんが、欧米人はめちゃくちゃ"開拓"してきた民族なので、木々の緑が「自然の驚異」として認識されやすかったのかもしれません。もっと遡ると、もともと人類は猿から進化していく過程で密林を離れ、平野で暮らすようになったという経緯もあります。DNAに刻まれるレベルで「緑」が嫌いなんでしょうね。

緑と共存した日本

一方、勝ち気な欧米とは違い恐怖心が先行しやすい日本では、逆に「伝統的に自然を恐れてきた」と言えるでしょう。あまりに恐れ過ぎた結果、調和をとって共存できるようになり、色としての緑も恐れなくなったのだとすれば、これは一種の国民性なのかもしれません。

日本が誇る「安全」のイメージ。

そんな緑共存派の一員としては、一度は離れた密林にわざわざ戻って"開拓"しようということ自体に狂気を感じざるをえません。ただ、近代化の欲望が「自然嫌悪」と密接なつながりがあるとすれば、いろいろなことに納得感が生じてきます。明治維新や終戦後の時代にそれが海外から強くもたらされ、急激な都市の開発と人口集中へとつながっていく日本の近代の歴史にも一致します。

現在、山を避けて海へと向かい、コンクリートの巨木を建てて暮らそうというのは、緑を廃した密林こそが人類の還る場所だと感じているからかもしれません。

不都合な「現実」。

「毒の色ひとつで考えすぎ!」と言われれば、まあそうなんですけどね。

毒は紫色?

日本のゲームで毒の色が"紫"に定着したことに限れば、やはり『ドラクエ』の影響が大きいのではないかと思います。なにせ主な画面背景となるフィールドマップが一面の緑色ですから、"毒の沼地"を緑色にしては区別できるわけがありません。2DRPGの源流にある『Ultima』は、フィールドマップが"黒"だったことも忘れてはいけないでしょう。

ただし、ドラクエより前に登場したPCゲーム『ハイドライド』(1984年12月)も緑色のフィールドですし、ほかにもいろいろあるでしょう。ドラクエ1(1986年5月)が緑のフィールドの元祖というわけではありません。

とはいえドラクエ1より前に登場した初代『ゼルダの伝説』(1986年2月)は主な地上フィールドが"砂色"(緑色=木は壁として使われる)であったことを踏まえると、2作目『リンクの冒険』(1987年1月)以降でフィールドが"緑"に変わったことにも、大きな流れの変化を見てとれます。

『ゼルダの伝説』(任天堂/1986年)©Nintendo
『リンクの冒険』(任天堂/1987年)©Nintendo

また、先日ドット絵にしたモンスター『スライム』も海外産のオリジナルのころから緑色でしたが、ドラクエでは青色になっていることにも要注目です。

これは、『ドラクエ1』は貧相な性能のファミコンでも戦闘背景を採用したことが影響していると思われます。スライムと背景、どちらも緑では、色を見分けにくいですからね。

戦闘背景がない黒バックの『ドラクエ2』で初出するバブルスライムは緑色ですし、ドラクエ1に出現するドラゴンは緑色ですが地下に出現するので背景色(黒)との競合がありません。

そしてSFC以降は絵にフチドリをつけたり、立体的な配色を可能にする余裕が出てくるので色の競合は気にしなくて良くなってきます。SFCで登場した『ドラクエ5』が初出となる"スライムナイト"は、緑色のスライムに騎乗していることは注目に値します。

スライムナイトぬいぐるみ(©SQUARE ENIX CO,.LTD. All Rights Reserved.)

などと、ファミコンの話をし始めるとついつい長文を書いてしまうのはファミコン世代おじさんの悪いクセですね! 安易に陥り、そして抜け出しにくい、まさに"毒沼"だと言えるでしょう。

なんて残念なオチをつけつつ、ドット絵メイキングは次回に送るのです。

(つづく)


この記事が参加している募集

つくってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?