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精神フォトグラファーの人生闘病生死観記録

自分の人生の始まりは15歳の春に始まりました。15の春、心の壊れる音を聞いた時に自分は人生の選択を迫られました。

その選択とは?

生きるか死ぬかです?

二つの選択に迫られた時に自分の選んだ選択は?

迷う事なく生きるです。

心が壊れる音を聞いた自分の選択は生きよう。でも生きてく上で捨てなきゃいけない事がある。それは楽を捨てなくちゃ生きていけない、じゃあ楽を捨てようと想いました。

15歳で突きつけられた命題と選択。

自分の生死観の始まりです。
でもここで一つ生死感の始まりがここからだと言いましたが本当の意味の始まりは創価学会に入信した時からだと想います。
入信した時まだ15の春を知るよしもありません。
母に連れられて入信した時まだ自分は小学1年生です。
仏法とはなんぞや?
人生とはなんぞや?

生まれて15年まだ人生に希望も馳せていた春に心の壊れる音を聞いた自分が選んだ選択、それが生きてく為に楽を捨てる、この楽を捨てることこそが生きてく為に必要な行為になります。

楽を捨てる事でエネルギーにする。

それが生命力です。

虚無の中で楽をエネルギーに変換する方法を学ぶ。

そして生きていく上で必要な事は自分で考え学び生きてく事を体得しました。

自分で体感、実感している事が現実だと認識できなければ死に巻かれてしまいます

心の壊れる音を聞いた時に死の実感を感じてしまったからこそ生きる実感を知りました。

ただ生の実感こそ死の実感です。

この二つは対局にあります。
この世の見方とすれば光と影。
創造と破壊。
全ては生死だと想います。

生きる実感 死の実感

生きる実感と死の実感とは?
生きているという事の反対には死ぬという事があります。
人はその死を常に考えているだろうか?
考えてはいないと想います?

なぜ考えないのでしょうか?

それは死ぬ事こそがストレスだからです。

死を考えるってわざわざやりますか?
やらないと想います?
やったらどうなるか知っていますか?

知らない人がほとんどだと想います?

やってたらこの世界、社会は人の想いに満ちています。

死を見ることは自分を知り他人を知ることに他なりません。

死を見ることで命とは何かを知る事ができるからです。
命。
命の意味とは?

生きる事です。

だから自分は生を選択たくしました。
ただそれは修羅の始まりに過ぎませんでした。

それから始まる精神病という病気の闘病の序曲です。

精神病発病

精神病発病は18歳の時でした。
自分の中で何とかしたいという想いが強く、可能な限り自分で何とかするという想いが強く頑張っていたのですが自分の中で世界が歪む現象が起きました。

それが自分に取っての心の異常性だと想います。

それが精神病の発症だと理解しました。
心が壊れていずれ来るとは思っていた自分に取っては世界です。

それが精神病の世界です。

これから続く世界が病気の世界

日常と非日常の意味がわかる人がいますか?
精神病を発病した自分には日常が非日常で非日常が日常になってしまいました。

なかなか理解できないかも知れませんが人との距離がわからなくなります。

まわりは仕事しているのに自分は何もしてない。
その想いが自分の世界を作り始めるのです。

そうして日常は非日常に変わっていきます。

自分の世界を作り出すその闇が精神病の世界です。

精神病の発症から見た闇が異常心理です。

異常心理とは自分が犯罪を犯さないかとかおかしな行動をしないかとかです。

極論を言えば異常そのものです。

異常に目覚めたといえばいいと想います。
ただ異常に目覚めたからそれでいい訳ありません。
異常心理をどうするかです?

まずやり始めたのは異常心理についての情報を集め始めました。
とりあえず犯罪心理、異常心理の本を読んだりして情報を収集して分析をする。
この先、自己分析はずっと出て来ますがこの時に覚えたと想います。
後に自分を救う力になります。

ただ当時、情報収集で犯罪、異常心理を分析してました。
自分に当てはめて考えていくのです。
ただはっきり言って当てはめる事は出来ません?
それは何故だと思いますか?

それは他人の心理だからです。
勉強にはなりました。
でも解決にはなりません。

でも解決方法があったのです。
要は自分が異常性に侵されている訳です。
ならば自分を見るべきじゃないのか?
自分の心理を見て自分を分析しなければ異常な心理は自分の中にあるならば自分をコントロールする術を見つける事こそ解決案である。

それが自分を分析する事だと分かりました。

自分を分析する事こそ生死にも繋がっていくことになるのです。

20歳から40歳まで学ぶと決めて沈黙

二十歳になった時も犯罪を犯すと実名で報道される。
その想いが今の自分には叫んでも誰も動かす力はない。
だったら40歳までひたすら学ぼうと決めたのが20歳の時です。
20歳で決め21歳になった時に駄目だと想いました?
それは21歳から40歳まで後何年あると想った時19年あるのです。
無理だと想いました。

生きれない。

そう想わずには要られませんでした。
15の春に生きようと決めたけど生きる為の要素があまりにも少な過ぎて生きる糧がありません。

自分は諦めないと想う気持ちは誰よりも強いと想います。
だから生きようと決めた訳です。
その想いが自分のやるべき課題を見つけました。

音楽です。

音楽をやってみよう。
ギターなら自分で独学でやれるかもと想いギターをやり始めました。

人生とは残酷です。
自分の左手人指し指は変形しているのです。
変形する理由になったのがバレーボールです。

中学生の時にバレーがやりたくて練習してて左手人指し指の腱を切ってしまい変形してしまっていたのです。

ギターで左手人指し指が極めて重要だとは知らずギターをやって初めて知りました。

何でと想いました。
何で俺ばっかりと想いました。

でも諦めきれませんでした。

音楽はバレーに勝るとも劣らない面白さ。
このやりたい想いがレフティという発想に近づく事になりました。

レフティとはレフトハンドの事です。
左利きのギターの事です。
右手人指し指は正常です。
それから第二の人生の始まりと想いました。
これから続く音楽の旅です。

もう一度問う

自分が何故、心の壊れる音を聞いたのか?

それは高校で本格的にバレーボールがやりたくてその想いに希望を抱いていました。
でも自分の家は創価学会なのです。

行くなと創価学会の幹部である叔父に言われました。
自分の通う高校がキリスト教系の高校だったからです。
言われても行けばいいと想っているならば宗教とは何かが分かっていないと想います。

宗教とは洗脳です。
仏法思想があってもある意味洗脳だと想います。

自分は逆らう事は出来ませんでした。
もし逆らって学校に行こうものなら何かあってはいけないからです。
案に言葉のニュアンスからは叔父から感じ取りました。

まだ15歳の子供です。
分かるはずありません。
自分が信仰している仏法は凄いと想っていたでしょう。
それに反抗して大人に反抗する事は出来ませんでした。

だから自分は心の壊れる音を聞いたのです。
そして選択を迫られたのです。

生きるのか死ぬのか?

決めたのが生きるでした。

その選択は正しかったのか今も考え続けています。
それは今も闘っているからです。

自分がなぜ心に傷を抱えそして生きていく選択をして、その答えを探す為です。

自分探しの旅は15歳で生きる選択をしてから始まったのだと想います。
だから死にたいと想っても死ねません。
ただ死にたいと想うと死の実感でストレスです。
これは生きる為に生きているのか?
死ぬ為に生きているのか?
全く分からないデキレースです。

人は考えた事があるかも知れません?
何の為に生まれて来たのか?
ただその答えがすぐ分かる人はいないと想います?
だから生きてくことが必要だと想います。

生きてれば何とかなるです。
死んだら終わり。
自分はそう想って来ました。

でも自分は許す事とはないと想います。
叔父と創価学会の人間を許す事はないと想います。
高校の話しを周りの創価学会の人達は知ってて知らないふりをする。
何故キリスト系の学校に行ったら行けないのかを幹部の方に話を聞きに行っても答える事は出来ず話を逸らすだけでした。
自分はただ誰かにごめんねって言って欲しかっただけです。

それだけで救われたと想います。
人を救うのが仏法なのに誰も実践出来てないから許すに与えしないと想っても自分は仏法を信仰しているから、その自分と自問自答です。

だから心の傷の原因は自分にあるのかと想う気持ちが生きて、その傷の意味を知りたいからだと想います。
答えは出ないと想います。

答えを知る時は死ぬ時じゃないかと想っています。
ただ考えないよりは考えた方が面白いと想います。

どんな境地に落ちようが自分が越えようと想うのが障害だと想います。

精神障害者と呼びますが障害を壁と見立てれば壁は超える事は出来ると想いました。
壁を超えることからやれば障害は超えられる。
超えた自分が精神フォトグラファーです。

40歳から今へ そして未来の自分へ

40歳の出逢いこそ自分の新しい心でした。
その出逢いとは医療スタッフです。

精神保健福祉士との医療スタッフとの出逢いが自分の人生に休息をくれたのです。

『楽』を捨てた、自分がスタッフの対応でもう一度楽をすることができたのです。

ただ回答から言いましょう。

スタッフである彼女は医療ミスを犯しました。

常に自分は精神であってもミスは命に関わるからミスはするなと常に言って来ました。
でも彼女はミスを犯してしまった。

ただ医療ミスはあってはならないのです。

医療ミスが起こったのは病院です。
この病院が事実上の原因です。

医療機関 福岡県の宗像市にある宗像病院です。
問題ある医療機関です。
治療する為の病院が患者である自分を殺すのです。
殺されると想いました。
現に状態は崩れ状況は破壊され自分は転院をさせられました
自傷、リストカットと呼ぶのは好きじゃありませんが今、腕を6回切りました。

この5回は全て病院の対応能力のなさからです。病院は対応能力はありません。
病院がやるべきは最初の医療ミスに対する対応です。
病院はそれをやらなかった。
先ずは患者に対する対応は迅速に対応しなくちゃいけないのに未だ対応はしてません。
それに医療ミスが起きたれらガイドラインの作成をしなければいけないのにそれすら作ってないでしょう?
それを持って謝罪に来るわけでもない。
ガイドラインの作成の意味は再発防止にあります。

病院側に反省するところも見当たりません。
それは何故なのか?

何故、彼女の処分を下さないのか?
それは事実上、病院、運営に関わるからです。
彼女に責任を取らすと病院が運営出来なくなるからです。
その事実が自分の知るところでは病院は今、運営の核となる部署に彼女を含め4人しかいません。
4人で病院を支えるのもギリギリだと想います。
それで彼女の処分を決めて解雇にする事にすれば病院は運営出来ないからでしょう。

患者を見殺し、そして自分達の職員を利用する日本の何処にでもある組織の構図だと想いますます。

病院が相手にしているのが誰だか分かっていないと想います。

芸術家山川博士です。

宗像病院は患者を見殺しにして職員を利用して運営をして利益を出したいだけだと想います。
確実に病院が自分の命を葬ろうとしているのが目に見えて分かります。

対応出来てれば自分がこんなに動く事はなかったと想います。

誰れも死の実感を感じれば動く理由にのなると想います。

死の実感が強いのは状態にダメージを与えた病院の対応能力のなさです。
人を苦しめた結果です。
人を苦しめて私達は悪くなかったと言っている病院スタッフこそ実名で公表されて当たり前だと想います。
彼女がいたからこそ『楽』がもう一度出来たのです。
だからいつも想っています。

ありがとう。

でも彼女はミスをした医療機関で学ぶべき事はないので自分も辞表を書けと促してはいるのですが今回はいい返事をくれません。
彼女は病院を辞めて責任を取り、新たな医療機関で学ぶべきだと想っています。
医療は未だ患者が被害者にならなければいけないのが現状です。
それが何故なのか?

そもそも医療、病院って命の現場です。
その命を危険に晒したいですか?
晒したくないでしょう?

もし現場のスタッフに反抗すれば自分の家族の命すら危うい。
命は大袈裟かも知れませんが医療や病院の中で何が行なわれているかは外部の人間は知る由もありません。

家族が入院してたら職員に頭が上がらないと想います。
何か言えば家族が何、されるか分からない。
そう想うと頭を下げるだけだけでした。
それも経験積みです。
父の介護を父がなくなる何年間か経験しました。
始めに精神病の人間は病気です。
その人間が介護をすれば介護うつです。
その中で父は寝たきりで病院に入院してました。
1日1回面会に行ってました。
寂しい想いをさせたくなからです。
病院に面会に行くと言葉の障害が出てましたがたどたどしい言葉で訴えて来てました。

職員の誰々がお尻をつねる。

だからしないように言ってくれ。
でも言えませんでした。
もしそれを言って、行為が増えると酷くなる。
そう想った自分は、ずっと職員に宜しくお願いしますと頭を下げ続けました。
その想いの中で父さん、ごめん、俺は何も出来ない。
ただ心の中で父に謝るだけでした。

ごめんねの言葉を心で呟いていました。

面会に行くのも苦痛です。
何も出来ない職員に頭を下げ続ける日々、当たり前ですよね、介護うつです。

じゃあ、どうすれば良いのか信頼関係を築くべきなんですが信頼関係を作る方法は対話です。
話す事で信頼関係は築けます。

信頼しなきゃ命は預けられないと想います。

でも対話が難しいのです。その理由がスタッフの上から目線です。スタッフは上から目線『弱者目線』で対応力します。人間の面を被った鬼とみるべきです。

でも彼女との信頼関係は強いと想います。
自分は彼女に出逢うまで犠牲と我慢の人生でした。
出来れば争う事なく終わらせたいから犠牲と我慢でした。

彼女が始めて担当として訪問看護に来た時に彼女が自分に話した事は私が壁になる、私が守ります、私が盾になりますと言ってくれました。
それが正直、『楽』でした。

ずっと一人で闘って来た俺にまだ経験も浅いスタッフに言われた時に情熱は経験を超えると想いました。
それからのスタッフとしての彼女の成長は目に見える程、早いものがありました。

彼女の言葉は嬉しかったです。
背負ってた荷物を下ろせました。
最初に来た時から俺の心の闇を見抜いてたということだと想います。
それは彼女の能力であり才能です。
だから彼女には能力があるから自信を持ってやりなさいと言っているのにまだ自信がないみたいです。

彼女への提言は医療ミスの責任を取りなさいです。
それが医療現場の責任の取り方です。
責任を取って病院を辞めるべきだと想います。

これからの未来に起こりうる事は自分が真に芸術家として現れた時、宗像病院も創価学会も存在意義が問われるでしょう。
自分はこの事実をこのままにしない。
フォトグラファーとして自立と確立が出来た時対応を変えたいと想う。
問題、解決に至らなかったらマスメディアに告発しようと想う。
この問題は今の医療の問題を変える足がかりになれば良いと想っています。
それに自分も終わりません。

提言をしなければこの国は変わらなと想うからです。

20歳の時、40歳になった時に自分は何を想って40歳で決起すかでした。
彼女との出逢いが合図でした。

そんな自分は今43歳です。

戦いの火蓋は切られました。

精神フォトグラファー

精神病や精神障害者に芸術家みたいな事がイコール、みえたらそれはあり得ないと想います。精神病、精神障害だから芸術性があるはないです。はっきり言って病気だから芸術そのものの活動をやらないでしょう。
それが写真と音楽を学んだ自分の感想です。
その一つの理由が集中力が出ない。集中出来ないが本音でしょう。
集中出来ないからやれません。なぜ集中出来ないかは病気に気が向くからです。
ゆとりがなければ芸術に気を向ける事は出来ません。

幻覚や幻聴が見え聞こえたら、それを芸術活用しているイメージがあるならそれは偏見です。

まず状態が悪い時にそれを芸術に活かす何て考えられません。
その時が生きるか死ぬかだからです。
生死が危険な時に芸術を考える余裕は誰にでもないと想います。
そんなもです。
精神病は病気ですから基本的に病気の作用利用をして芸術を構築することは出来ないと想います。

体験を活かすこと事は出来ても状態が変動している時、芸術的発想は出来るはずありません。

精神病、精神障害者のイメージに芸術家が見えるならそれは偏見に過ぎません。

芸術家を作るには基本的に自分の努力しかありません。
精神病であれ精神障害であれ評価は人が決める事です。
だから甘んじる事なく自分の表現を磨くのが芸術家として当たり前だと想っています。

ただ基本思想的な事は同じですが精神病や精神障害を抱えて芸術を心座すのは人の何倍も努力しなきゃいけなのは確かです。

病気の状態がそもそも病気です。

例えは悪いですが、風邪で熱がある時にそれで写真を撮影しに行きギターを弾くような事はないと想います。
安静して治す事を考えて治ったらまたやればいいと考えると想います。
ただ基本的精神病に完治はないと自分は考えているので、そもそも状態の完治を待っていたら何も出来ません。

でも病気の状態で生きるだけでもしんどいのにそれで芸術までやろうは多くの病気の人は考えないと想います。

何故、自分はその生き方を選んだのか?
その理由は死の実感です。
死の実感とは死の体験と捉える事が出来ると想います。
15歳の春、死を体験して、そこから戻って来た体験、生還体験がもう一度死ぬから戻って来たいと願って自分を追い詰める事で恍惚する状態が忘れられないのが死の実感に自分を追い詰めたい理由だと想います。

死の実感から帰って来る事こそ奇跡の生還と呼べるかも知れません。

それを自らの意思でやろうとしてる訳です。
それをやる事で生を実感するのです。

やっぱり生の実感は死の実感と表裏一体な訳です。

芸術そのものが生きる事なんですが生きているから死を実感する事に繋がり生きる為に死を実感するという流れになりました。
これがややこしい生き方であり病気で生きるという事であると想います。

才能に触れる時、

感動が起こる。
それが芸術だと想います。

だから芸術家でありたい。芸術家だと想っています。

全ての証明は芸術でやればいいと想います。

自分は自分の能力を信じます。

新しい芸術の表現を目指したいと想います。

HYPG

この写真のタイトルは『仏』です。

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山川博士/精神photographer/写真

1976年生まれ。15歳の春に心の壊れる音を聞く。それから28年、写真と音楽を引っ提げてこの世界に登場。精神病の思考性で芸術の思考性を追究する芸術家です。

宗像病院の悪行

宗像病院の悪い人たちの悪行。それに立ち向かう偉大な精神病患者の闘い。こんなにいい写真を撮影してあげたのに宗像病院は俺を斬首した
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