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「政治のスポーツ利用」と「スポーツの政治利用」

政治や外交問題がスポーツに対して影響を及ぼすことに対して、よく批判されたりしています。しかしその一方で、スポーツが政治に影響を及ぼそうとする取り組みに対しては批判ではなく賞賛されることが多いです。

ここで一つ疑問が出てくるのですが、政治がスポーツを利用しては駄目だけれど、スポーツが政治を利用するのはOK、ということです。

昨年の平昌冬季五輪やソウル夏季五輪での韓国と北朝鮮の連携ですとか、サッカーワールドカップやオリンピック、各種スポーツ国際大会を共同で開催するとか、これは政治がスポーツを利用しているとも言えるし、スポーツが政治を利用しているとも言えるでしょう。

FIFA(国際サッカー連盟)のルールとして、国家や政府がその国にあるサッカー協会に介入すると、国際大会への参加禁止など資格停止処分を下す、というものがあります。しかしこの適用は結構恣意的で、2002年の日韓ワールドカップの共催は過熱しすぎて単独開催だと外交問題になりそうになったことが一つの大きな要因でした。これは政治がスポーツに影響を及ぼしたことにならないのでしょうか?

平和のためにスポーツが貢献すべきだ、という理屈は分かりますが、例えば、かつて紛争があった隣接する2カ国が何らかの国際大会開催に立候補する際に、「平和」を持ち出してアピールするのはスポーツが政治を利用しているのではないでしょうか?

近隣諸国と長年問題を起こしていない「平和」な国がその時の立候補相手である場合、アピールポイントで不利になります。それは公平な招致レースとは言えないのではないでしょうか? 政治や外交などに問題がある国の方が招致に有利になる、というのは本末転倒ではないでしょうか? 本来であれば、平和な国が有利になる方が正しいのではないでしょうか?

スポーツが政治を利用するのは構わない、という理屈があったとしても、利用するのと利用されるのとは常に一方的な向きになるとは限りません。いつか、政治がスポーツを公然と利用するようになったとき、お互い様だと開き直られて対抗できるのでしょうか。


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