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難読症(ディスレクシア)に対する電子書籍という処方箋

ディスレクシアと呼ばれる難読症(読書障害あるいは識字障害)の人向けに、読みやすい本が出版されたというニュースがありました。

英国では10人に1人の難読症向けに、ハリポタ関連本3タイトルを発売
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2019/03/3-5.php

このリンク先のタイトルにあるように、イギリスでは10人に1人の割合である程度のディスレクシアの症状があるということの方が衝撃的ですが、軽度な場合は病院にも行かず、本人も気付かないのかも知れません。日本での割合は分かりませんが、それほどかけ離れてもいないでしょう。

そういえば先日、別のニュースで、UDフォントの話題がありました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-10000001-mbsnews-l27

MBS毎日放送のテレビニュースですが、読みやすい文字・字体についてのものです。UDフォントが取り上げられています。フォントによって同じ文章でも読みやすい・読みづらいというのは確かにあります。これはディスレクシアの人でなくても実感できると思います。しかし、読みづらいだけですから、読んでも理解できないとか頭に入らないという難読症の方の実感とはまた異なるのだと思います。

こういう障がい・病気というのは誤解されやすく、なかなか理解が世間で進まない面があるでしょう。自分は問題なく読めるし理解できる文章なのだから、読んでも理解できないという人をディスレクシアとして遇するというのは教育現場でも現時点ではなかなか難しいのかも知れません。

そもそも、日本の教育において難読症に関しての理解が進んでいるのかどうか、ということ自体の問題もあると思います。上のリンクにあるニュースにあるように、教科書に向いたフォントが出来たのは最近です。教科書は読みやすくてもそれ以外の本はUDフォントではありません。副読本や参考書、問題集、あるいは読書感想文の課題図書など、ディスレクシアの人にとっての困難は教科書以外にも存在しています。

その都度、難読症向けの本を別に準備するというのは不可能ではないかも知れませんが、その分のコストや手間がかかりますし、そもそも、教育の過程において、「自分が読む本が他の人と違う」という気持ちを与えるのはその子にとっても周りの子にとってもあまり良くないでしょう。イジメの原因になりかねません。

究極の理想としては、教科書に限らず、文章が表示されている書籍を読む人に合わせて読みやすい形に自動で変更できるシステムでしょう。難読症の人向けということだけではなく、難読症ではないけれど近眼・老眼・乱視などの人が読むときにはそれに合わせて表示も変わる、ということが出来るのであれば、文字を読むことに関してのハンディキャップをほぼ無くすことが出来ます。

そういう意味で言えば、いっそのこと全ての書物を電子書籍にしてしまって、読む人が自分にとって読みやすいフォントで選択的に表示できるシステムが確立された方がいいのでしょう。紙媒体の本の良さは確かにありますが、紙の本はそれに人間の方が読み方を合わせるものですので、合わせられない人は読めないということになります。逆に、前述のような自動選択的電子書籍であれば、読む人に対して本の方が「読ませ方」を合わせてくれる、ということになります。

今はまだ、電子書籍でもそんな仕組みは存在しません。例えばAmazonのKindleで読める本のフォントは、明朝・ゴシック・筑紫明朝の3種類から選べるだけです。太字で表示したりサイズを自由に変更したりは出来ますので、近眼の人にはまだマシだと思いますが、UDフォントが使えるわけではありません。しかもこれはリフロー型(表示領域や設定に応じて表示が可変の仕組み)の電子書籍で出来ることですので、固定型(紙媒体の本と同じ表示になる)の電子書籍であれば不可能です。

紙媒体の本であればそもそも変更は不可能です。今後の世の中に出回る全ての書籍がUDフォントになる可能性はまず無いでしょう。しかし、電子書籍であれば可能性はあります。収録漢字数さえ増やせれば全てのリフロー型の電子書籍において、難読症の人でも読めるフォントに変更できます。紙媒体の書籍を変更する労力の1%も必要ないでしょう。

別の投稿でも書いたことがありますが、技術・テクノロジーは困難を減らすことが目的であるはずです。言い方を変えると、テクノロジーによって減らせる困難は減らすべきです。

紙の本でないとダメという気持ちは個人的感傷として持つ分には問題ありませんが、紙の本でない「読みやすい」電子書籍の仕組みが社会として必要とされるのであれば、その進展を止めるべきではないと思いますし、その分、紙媒体が割りを食って減っていくのは社会運営上の必要な犠牲(コスト)と割り切るしかないと思います。

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