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儒教と武士と学歴社会

儒教は中国におけるその成り立ちや普及した経緯からいって、文官が武官及び民衆を支配するための道具であるはずでしたが、なぜか日本においては儒教を最も受容した階級は武士=軍人階級でした。知識人階級である貴族と僧侶は儒教を学問「儒学」として限定的にしか受容せず、精神の部分にまで立ち入って自律のために使用したのは武士のみです。

中国では基本的にどの時代においても文官が上で武官が下とされてきました。戦乱の世の中にあっては、王や皇帝の前で座る位置が武官の方が上になったことはありましたが、平和であればまず間違いなく文官が尊ばれていました。モンゴル帝国の一角である元朝では軍人階級はその出自もあって上位にありましたが、そもそも元朝では儒教自体が冷遇されていましたので、結局軍人と儒教が結びつくことはありませんでした。

中国と日本の間にある朝鮮半島でも、両班が文官と武官の両方を科挙経由で輩出しますが特権階級となり、両班の武官自体は両班内でも文官に比べると賤視されていましたし、そもそも両班の武官は管理職でありあえて言うなら自衛隊の背広組のようなものです。

日本では軍事階級が国権の最高権力を握る将軍から、幕府内の要職も各地の大名内部の統治機構も全て武官で構成され、農民の中にも苗字帯刀を許される身分が存在していました。上から下までほぼ武官によって統治されていたことになります。

中国・朝鮮と日本との間で何が違うのか、と考えていたところ、

戦闘員なのに戦うことを禁じられた「武士」のアイデンティティ崩壊(橋爪 大三郎,大澤 真幸) | 現代新書 | 講談社(3/4)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51182?page=3

検索してみるとこんな対談が見つかりました。

橋爪: 大事な点ですね。議論の出発点としてさっきのことを確認しておくと、武士は戦闘者である。でも、徳川幕府、江戸時代のコンセプトは戦闘の禁止である。だから、ここに大きなアイデンティティ・クライシス(自己喪失)があるんですね。戦闘員なのに戦闘しないんですから。

(中略)

学問を本気でやるという人たちが大勢生まれてくるわけです。これは武士のかなりの部分が身分と職務があって武士のはずなのに、家の中でポジションがなく、他に自分と認める道がないという、そういう苦しい状況の中で、自己実現を図る唯一の道だったと思う。
江戸時代の儒学者とかいろんな学問をしている人を見てみると、そんなに優秀な人はランクが高くない。下の方のランク。それから、武士かどうか怪しい人もけっこういる。それから、順調に出世していくって決まっていれば勉強なんかする必要ないわけだから、そういうことがあやふやという人が本当に志を立てて勉強している。こういうパターンですね。
これは中国と大変違う。中国だと勉強したら必ず科挙をパスして、立派な政府職員になり、高級官僚になり、財産もガバガバ稼ぐという人しか中国の一流文化人っていないんですけど。日本の場合は、権力もお金もないというのが文化人の特徴なんです(笑)。

軍人が軍事行動を禁止されて事実上の文官として働かされることで、儒教・儒学に基づく組織作りと行政執行を行うようになった、という理屈はなるほど確かにすんなりと腑に落ちます。

そしてそこから「武士道」という理想が生まれたのだと思います。ここまでは理解出来ます。

しかし、「日本だけ」軍人と儒学が結びついたことの理由にはなりません。そもそも、軍人勢力が政治権力を内戦を挟みながらも約700年間(平清盛から徳川慶喜まで)も維持していたことの方が世界的には例外なのかもしれません。

科挙が日本に定着しなかったこともその原因かも知れません。中国では20世紀初めまで、李氏朝鮮でも19世紀後半まで科挙が実施されていました。

日本は学歴社会だと批判されることはありますが、学歴が必要な仕事で学歴を求めるのはそうおかしなことではないでしょう。いわゆる入試勉強が、「情報をインプットして求められる形で素早くアウトプットする」業務に従事する人(たとえば官僚など)を選び出しているのであれば、むしろそれはそれで結構なことのはずです。学歴が必要ではない仕事に、学歴を求めるのであれば間違いなく悪い意味での学歴社会だと思いますが、今の日本はまだその状態では無いと思います。今の大学進学率は昔に比べると非常に高いですが、そもそも今と昔の大学入学可能人数の違いが大きいでしょう。一部の公務員では大卒者は「応募できない」職種もありますし。

それはともかく、儒学を受容したのが軍人階級であったことと、身分が固定された社会であったことが、科挙が絶対条件にならなかった理由でもあるでしょう。

刀を大小腰に差すことが江戸時代でも武士としてのスタイルでしたから、軍人階級はあくまで武力装置であって完全には文官化しませんでした。武士にとって儒教は学問と修養のためのものでありました。

また、農民や町人が儒学を修めても支配階級になれるわけではありません。正式な武士にはなれませんから儒学を学ぶことと役人になることがイコールではなかったわけです。逆に言うと、役人が役人であるためのアイデンティティは儒学を学ぶことではなく武士階級に生まれることが第一でした。学問によって武士階級の中での成り上がりは可能でしたが、低い身分の武士が儒学の最高権威になっても将軍はおろか大名にも家老にもなれません。逆に、科挙に合格すれば平和な時代であっても、大臣にまで成り上がれた中国とは大きな違いがあります。

今の日本においても、学問そのものは政治家・大臣・首相の必要条件ではないようです。もちろん東大卒や法学部卒の国会議員は多いですが、企業の経営者や幹部なども大差はないでしょう。官僚のトップはほぼ東大卒でしょうけど、東大そのものが官僚を輩出するための大学として作られたのですから当然です。そもそも、政治家やあるいは首相になりたいですか? と聞かれてなりたいという人ってどれくらいいるでしょうね。さらには、なりたいけれど日本は学歴社会だからなれない、と不満を言う人はまずいないんじゃないでしょうか。

政治家が憧れよりは批判の対象になるのはそれはそれで問題ではありますが、日本で権力を握るのにそれほど学歴が最重要視されているのではないのは、科挙の伝統が無いことと、儒学との結びつきが強かったのが軍人階級だったことに遠因があるのではないかと思います。


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