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企業と社会の持続性のための冗長性

日本企業・日本社会にとってこの30年は、効率性を追求してきた失われた30年でしたが、冗長性が必要となる時代が来たのではないでしょうか。

今回のコロナ禍に限らず、過度に効率化を実現した生産工程、サプライチェーンはどうしてもどこかに集中してしまい、いざという時に集中した部分が途切れてしまうと供給がゼロになってしまいます。

サプライチェーンを複数確保して、冗長性を持たせれば完璧に止まってしまうことはなくなります。もちろん、似たような経路にしないことが必要です。中国の広州にある工場のサブとして重慶に工場を建てたとしても、日中間の往来や輸出入が止められたら同じことです。

もちろん、冗長化によってコストが上がり、それは商品価格に跳ね返ります。その代わりの供給体制の安定性ですから、どっちを重視するかは経営方針の問題でもあり、消費者や中間業者の希望もあるでしょうけれど。

冗長性はサプライチェーンで言えば供給の安定性につながりますが、それ以外の分野でももちろん利点は存在します。

例えば言葉による意思伝達。

少ない言葉数で正確な意思を過不足無く伝えられれば一番いいですが、言葉が少なければ受け手が間違う可能性が増えます。言葉を多くして同じ意味の表現を複数費やせば、間違えられる確率は減ります。その分、無駄な言葉が増えるわけですが、その代わりに正確性が高まります。

文字や紙などが無かったころ、貴重だった頃の詩や口承文芸が、ともすれば現代人からしたら過剰にも思える修飾表現を当然とするのは、同音異義語による意味の混同を防ぐためでもあるのでしょう。
多彩で優美な説明のためだけではなく、実用的な理由ということです。
アフリカのトーキングドラムも同じかも知れません。

トーキングドラムで情報伝達していた、という知識は数年前に

インフォメーション―情報技術の人類史―
https://www.shinchosha.co.jp/book/506411/

を読んで知ったのですが、面白い書籍でしたね。

その本の中にもありましたが、ビットでデジタル信号を伝達するのも当然ながらビット数を増やせば正確に情報を伝達できるようになります。ハッシュ関数を用いてチェックディジットとか付与すれば改ざん・エラー訂正が可能になるのも同じですよね。ブロックチェーンも冗長さと暗号化で成り立っています。

あと、サプライチェーンという企業間のつながりではなく、企業内部でも従業員に冗長性が必要となってきたと思います。

効率性を追求しすぎて、業務と人員のバランスがぴったりすぎたら、今回のコロナ禍とか、何かの災害とかによって勤務体制が保てなくなるとオペレーションが破綻します。

もっとやり過ぎのブラック企業だと、普段からギリギリなため一人が風邪を引いて休んだだけでスクランブル体制に入ってしまいます。某牛丼屋さんのワンオペとかは分かりやすい例ですね。

その某牛丼屋さんも批判を浴び、ブラックイメージによって人の募集も苦しくなって環境もマシになったそうですが。

どんな企業でも、毎日ぴったり同じ業務量ということはないでしょう。日によって、季節によって、天候によって、取引先や消費者の状況によって変わるのが当たり前です。最小の量に合わせた人件費であれば節約できますが、人手が確保できなくなったり業務量が急増すると結局破綻します。

余分な人件費をかける余裕がないというのが経営側の理屈となりますが、それが原因で緊急事態に経営を持続できないのであればやっぱりダメでしょう。

もしものために、という理由で内部留保を抱えているのなら、同じ理由で人員も余裕をもっておく理屈もあり得るはずです。

人件費を増やさず、労働力の可変性を保つには非常勤・非正規労働者を増やすことになりますが、それをすると結局ワーキングプアが増えて社会的な問題となってしまいます。

冗長性が社会的あるいは法的な制度として保証されているなら、個々の企業が余分な人員を抱えなくてもいいかもしれません。具体的には、労働者の流動性をもっと高めて、企業が雇いたいときに雇い、不要なときには公的保険などで労働者の収入をカバー出来るのであれば企業内の労働力の冗長性は不要です。

ただし、そのように企業が人的効率性を追求するのなら、そのために労働者の収入源をカバーするための失業保険やベーシックインカムのための法人税増税は当たり前に必要となってきます。

企業活動は資本主義社会にとっては欠かせないものです。ゴーイングコンサーンが前提で様々なものが成り立っているのであり、さらにそこで働く人の生活も持続しやすいように、企業や社会全体が課税と配分を考える時代が近付いてきているのかも知れません。

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