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にゅうでりのもやもや。夫への自分の気持ちについて

色々なことが出会った頃、結婚当初、出産前から変わってしまったのではないかとすごく感じるのですが、今回はその「変わってしまった」をもう少し深堀りしたいと思っています。
※X(Twitter)のポストでは、目にしたくない方もいるだろうと思って詳しくは控えている夫婦関係や子どもについて書いています。
特にオチや結論のまとまりはなく、ただひたすらに今思っていることを記録したものですので、本当に期待しないでください。
暗い内容も多くあるので、引っ張られやすい方は、ご注意ください。


人の気持ちは移ろいやすい

出会った頃の気持ちはこちらにも書きました。

たったの4ヶ月前でも何をどこまでどんな風に書いたか覚えておらず読み返しました。それくらいに人の気持ちは移り行くものだなと改めて思いました。

小中学生の時、百人一首がすごく好きでした。
全部覚えていたのに、今ではすっかり忘れていたのですが、
「人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香に匂ひける」
という歌を、最近ふと思い出しました。

「人のこころはどうなるかわからないけれど、この梅の花は昔から変わらず同じ匂いで花を咲かせているものだ。」という意味の歌でした。
平安時代から人の心は移ろいやすいものだと歌われているのだから、そういうものなのでしょう。

私は変わってしまったかもしれない自分の気持ちをすごく責めていました。
でも昔からそういうものだと思えば、少しは気が楽になり、救われる部分があります。

結婚への強い意思

私は誰でも良いから「結婚」がしたかったわけではありませんでした。
結婚生活自体には、それほど夢を描いていませんでした。

ですが、結婚する時には、この人と一緒に過ごせる時間が一秒でも長くなってほしいとは思っていました。

結婚してからも数年間は、家を出なくてはならないギリギリの時間まで離れるのを惜しんでいました。

私は自分の子どもが欲しいという願望も特にありませんでした。
むしろ自分の遺伝子が半分受け継がれた生物をこの世に産み落とすなんて恐怖しかありませんでした。
だけど、夫の子どもは授かれたら良いなと思いました。
夫と一緒に、夫の子どもを育ててみられたら良いなと思いました。

私だって相当に考えて、それなりに強い意志を持って結婚することを決めたのに。
その気持ちはどこへ行ってしまったのでしょうか…。

結婚する時は、一生絶対にいられるのかとか
考え過ぎると、結婚できなくなる。
勢いが大切だと母に言われていました。
何でも考え過ぎる私なので、そんなに考えずに、もしいつかやめたくなったら、いつやめたって良くて、でも今は結婚したいと思うのだからすることにしようという気持ちもありました。

結婚前から夫の仕事はずっと不安定な仕事で、ほとんど収入はありませんでした。

そして夫とは年が離れています。
年を重ねている分、病気になる確率が高くなると予想はしていました。
もし夫が病気になったり、仕事を続けられなくなったりしたら、私が支える、私が家族を養っていくのだと、そこまで想像して強い意思を持って結婚を決めました。

自分が変わってしまった

今振り返ってみると、自分の体力や実力を過信していたと思います。

夫に出会った頃はまだ学生で、20代に入ったばかりでした。

すでに抑うつ状態にはなっていたのかもしれませんが、適応障害の診断を受けたのはずっと後のことです。

HSPという言葉は全く知りませんでした。
人よりも繊細で敏感て疲れやすいなんて思っていませんでした。
人よりも苦手なことがあって不器用だなんて思っていませんでした。

20代から30代になって
学生から社会人になって
キャパオーバーして適応障害になって
子どもを産んで母になって
その都度、私は変わってしまったのだと思います。
変わらざるを得ない状況になったのだと思います。

夫の特性にも気付いていませんでした。
振り返れば、違和感を感じたことは何度もありました。

でも自分も誰しも完璧な人はいないし、目を瞑っていました。それか、気になる点よりも、好きな気持ちが大きく上回っていたのだと思います。

夫の仕事に対しても、もう少し良くなっていくものだろうと楽観視していました。
夫の職場が変わる予定もあったので、変わればきっと良くなる、また新しいアルバイトの人が見つかればきっと良くなる…そう期待していました。

産後の夫婦仲

出産後に夫婦仲が悪くなるというのはよく聞くことなので、妊娠中の段階ではすごく警戒していました。

産後のホルモンバランスの乱れにより、精神状態が不安定になるガルガル期、
出産を終えてから数年の間に、互いへの愛情が急に冷めたように感じて夫婦仲が悪化する産後クライシスについて調べて、夫にも伝えていました。

本当にそんなことってあるのだろうかと、とても不思議でした。

急に結婚したわけでもなく、こんなに何年も夫婦をやってきた上で子どもを授かったので、大丈夫かなと思っていました。

でも本当にありました。
初めての出産・育児と、寝不足と、
ホルモンバランスの大きな変動に
心身はついていけませんでした…。

一番大切な唯一の我が子だから

子どもが生まれてみて、この世の何よりも大好きで大切なものは断トツ一位で息子になりました(イヤイヤがすごくて、そう思えない瞬間もあるのですが、総じて言えば断トツです)。

夫を好きとは比べようがありません。
何せ子どもですからね。
息子が大人になった時に可愛く感じるかは分かりませんが(いつまでも可愛いものらしいですが)
乳幼児の息子への愛は次元が異なります。

それは夫も同じなのでしょう。
それまでは私のことも一応、可愛がってくれて?いましたが、30歳代の女が赤ちゃんよりも可愛くて大切で愛しいということは、ないのでしょう(あくまでも我が家の場合であって、子どもよりも妻を愛している父親もいるとは思います)。

私にとっても夫にとっても一番大切なたった一人の息子。
24時間体制で警備しているのに、一瞬の不注意で怪我したり、アレルギーの食品を口にしてしまったり…。
息子に対して良かれと思う接し方がそれぞれ異なります。
気を付けていても親から育てられてきた、かけられてきた言葉が無意識に出てしまいます。
その都度、擦り合わせようと試みても、なかなか癖は変えられません。

一番大切な存在を、価値観の異なる二人で守って育てる、一緒に成長するって、とても難しい…。

それはとても楽しみなことだったはずなのに
お互いに傷つけ合ってとても苦しい…。

今の気持ち

出会って付き合って、10年以上が経ちました。
結婚しても恋人同士と大きくは変わらなかったけど、適応障害になり、子どもを授かり、産後うつ状態になり、私自身が変わらざるを得なくなってしまった部分もあり、夫との関係性も変わってしまいました。

10年以上、同じ人に同じ様に恋し続けること自体、むしろ難しいことなのかもしれません。

恋心がなくなってしまった時に、家族愛になるように、お互いの努力が足りなかったのかもしれません。

まだこれから再び恋すれば良いし
少しずつ家族愛を育んだって良いのでしょう。

ただ、今は、行ってみたいと思う場所がある時に
夫と一緒に行きたいなと思わない

食べてみたいなと思うものがある時に
夫と一緒に食べたいなと思わない

それが私はとても寂しいなと思うのです。
それだけ夫といるのは当たり前になったからこそなのかもしれません。

最近の私や子どもの日々には色々な新しいことが起きて、刺激追求欲は常に満たされています。
夫の日常や考えることは、もうだいたい想像がついてしまうので(実際は違うかもしれませんが)、興味がわかなくなってしまいました。
前は必ず毎晩電話してお互いに今日のあった出来事を話していたんですけどね…。

いつまでも嬉しかったことや楽しかったこと、悲しかったことや悔しかったことを一番に話したくなる、聴いて欲しい、知っていて欲しい、そういう相手であったら良かったなぁと思うのです。

夫であって、恋人であって、親友であって、父親のようであって、一番大切な、一番大好きな人であってほしかった。

2人でやるようなことは、もうだいたいやってきたからかもしれません。
誘う必要もなく、断られることもないからかもしれません。

子どもの成長に一緒に関われて
イベントを一緒に楽しんでいけるかどうか
当面はそれを大事にしようと
今は、思ってます。今、この瞬間は、です。
日々、共に暮らすことに限界を感じる瞬間が多々あるので、もしかしたら壊れてしまうかもしれません。

こんなことを書く日が来るなんて
思っていませんでした。

またこの先に
こんなことを書いていた日が信じられないと思うような日が来れば良いのですけどね…。

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とても長くなってしまいました。
読んでくださり、ありがとうございました。
もやもやは消えないけど、今頭の中にあることは、なんとか書ききれたような気がします。

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