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壊れた鏡の破片を拾い集める日々③(全5話)

母への想いをバラバラに映した破片。


幻想

一人暮らしを始めてから、子どもが生まれるまで、実家とは距離をとってきた。
初任給をもらっての食事会、年末年始の2日間、結婚式の前、父親の還暦祝いの旅行…
その時だけはもしかしたら理想の家族がそこにあるのではないかと幻想を抱いてみた。
だけど、いつも嫌な気持ちになって終わって、理想と現実はかけ離れていてがっかりした。

母として母から息子を守りたい

息子には毒が移らないように、
母であっても嫌なことは嫌だと、
今後こそ、冷静に自分の考えを
アサーティブにはっきりと伝えようと思うのだけど、どうしても言えない。

憂鬱なリスト

私はずっと母の話の聞き役や父と母の喧嘩の仲介役を常にさせられてきた。
高校生までは、食事の時間とかに出来事を話して、食事が終われば自分の部屋に籠もって、勉強したり、好きなことをしたりして、過ごしていた。
大学3年生から一人暮らしを始めた。
とは言っても、習い事やアルバイトは実家の近くで続けていたから、週に1-2回は実家に帰り、帰るのが大変な日は大学の近くで過ごす生活をしていた。
その頃から実家に帰ると、母が私に話すことのリストが作られていた。
家族として確認しておかなければいけないこと、事務的な連絡、親戚の近況など、情報共有が大切なのは分かる。
忘れないように伝えるために、伝えたか伝えていないか分からなくならないように、リストにしておくのは分かる。
でもそのリストがね、すごく長いんだ。そして、そんなに重要でない…母にとっては聞いてほしい重要なことだったのかもしれないけど、申し訳ないけど本当に興味のない、雑談までもが全部リストにされていて。
一つずつ消しながら話していくの、リストの最後まで全部聞き終わらないと、席を外しにくいの、辛かったな。
私の話なんてする隙がまずないし、聞いていたら疲れちゃうから、話す気力なんて残らないんだ。私以外に話す相手を見つけてほしいな…。
「姉妹のような親子」とか思っているかもしれないけど、私は全然思ってないからね。
私が我慢しているだけだからね。

今年一番の。

2023年、今年に入って、久しぶりに頻繁に会う機会が出てきた時、私は育児にいっぱいいっぱいで、母はまだ私と息子の状況を理解していませんでした。
夕食の時間になっても、私はお腹が空いていなかったし、息子に食べさせるのを優先していました。
母にも先に食べて良いよと伝えたのに、私と父が何を食べるか決めないと、母も決められないと言いました。
私はどれでも大丈夫だから、母に先に選んでよと言ったけど、母は完全に拗ねてしまい「私の食べるものがない」と泣き叫び出しました…
本当に何しに来たの?と思ったし、今年一番恐ろしい光景でした。
今年ずっとそんな感じなのかと思ったけど、ちゃんと反省したのか、その時だけで済んだので、良かったです…。

眠りにつくまで

子どもの頃からずっとなかなか寝付けなかったのだけど、小学3年生くらいの頃、寝る前に母に耳かきしてもらったのが本当に気持ち良くて、毎日お願いしたよね。
1週間くらいで、耳も痛くなるしダメってなって、やってくれなくなっちゃったけど、耳かきしてもらって眠りにつくのは、本当に幸せな時間でした。

今回は軽めな短編エピソード集になりました。そろそろウォーミングアップは整い、本当に嫌だった話、書けるかな…。


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