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月記(2022.09)

9月のはなし。

ありすぎ。事が。




§.雨の六本木で ~映画『ぼくらのよあけ』試写会~

生まれてはじめて映画の試写会に参加しようとした。9月のはじめ、応募締め切り前にあわててフォームを開くと、「応募動機」という欄があった。あっ、そういうのも、あるのね。正直面食らった。もっと単純で機械的なやつだと思っていた。試写会はまず、僕を試してきた。

ただよく考えてみれば納得はできる。限られた座席を割り振るのだから、鑑賞意欲のが高い人を選びたいと考えてもおかしくはない。そして僕が応募しようとしているのはFilmarks主催の応募枠であり、その条件は「試写会参加後、2日以内にFilmarksにレビューを投稿する」というものだった。幽霊部員は許しませんよ、というのも納得できる。僕は幽霊部員ではないが、新入部員ではあるため、信用の薄さはどうにもできない。正直、震えた。応募締め切りまで数時間、これが数分とかでなくてよかったと思った。集中してキーボードに向かい、1300文字ほどの「応募動機」を送った。

試写会は六本木某所で行われた。信じられないくらい迷った。Googleマップを眺めながら、はやくARでの道案内が当たり前の世界になればいいのに、とすこし思った。辿り着いた会場は多くの参加者でにぎわっていた。ところどころで会話が聞こえる。社交的な挨拶。いわゆる「関係者」の人が多いのだろう。会場の前方にはカメラを提げた記者と思しき人達が固まり、後方には巨大なビデオカメラが列をなしていた。新鮮な光景にすこしワクワクしていたが、舞台挨拶が終わるとすぐにいなくなってしまい、今度は勝手に寂しくなってしまった。

試写会が終わっても、会場周辺には社交的な挨拶が飛び交っていた。僕は特段話す相手もいない「非関係者」なので、静かに映画の感触を噛みしめながら歩いていた。外に出ると、雨が降りはじめてきた。天気予報はこんなこと言ってたか、あまり思い出せないが、周囲の困惑した雰囲気から察するに、微妙な予報だったのだろう。近頃の天気はかなりヤンチャし放題で、正直腹立たしいのだが、なんとなくこのときの雨は心地よかった。

2日後、またも締め切りギリギリになって、Filmarksにレビューを投稿した。およそ1600文字。応募動機が1300文字。こうして毎月noteを書き続けており、無意識のうちに2000文字超えくらいのサイズを目指すようになったのだが、すでに『ぼくらのよあけ』関連でエネルギーを使ってしまった。書き足りないことや、まだ書くべきではないであろうということや、まとめきれず保留にしてしまったことなど、あれやこれやと散乱している状態なのだが、こうしてまたも『ぼくらのよあけ』について書いてしまっている。たぶん、まだ足りていない。

レビューと言えるかはすこし怪しいが、僕の「念」みたいなものを感じてもらえれば幸いだ。映画『ぼくらのよあけ』は、2022年10月21日に公開される。よしなに。




§.水槽の日

9月10日を『水槽の日』とする。2022年は中秋の名月とも重なった。


勝手に言ってるだけなので、勝手に考えさせておいてほしい。




§.「いい」の暴力 ~進行方向別通行区分~

生まれてはじめて進行方向別通行区分の解散ライブを見た。

ここで僕が話題にしている進行方向別通行区分とは、日本のバンドのことである。知らない人に紹介するときは大方、「相対性理論のベースとドラムが最初に組んだバンド」というところから切り込んでいくことになる。ちなみにこのフレーズに含まれる相対性理論とは、日本のバンドのことである。

相対性理論の元ベーシストであり、『シフォン主義』ほぼ全曲の作詞作曲を手掛けた真部脩一は、進行方向別通行区分においてはギタリストを務めている。

相対性理論の元ドラマーである西浦謙助は、進行方向別通行区分においてもドラマーを務めている。

進行方向別通行区分の音源はインターネットに点在している(各種サブスクリプションサービスを除く)。それらはオフィシャルな形ではない。ある時期までは公式ウェブサイトでダウンロード可能になっていたらしいが、すでに公式ウェブサイトごと消えてしまっている。とはいえ、曲を聴いてみたいだけであれば、とくに不便は感じないはずだ。検索フォームに「進行方向別通行区分」と入力すれば、道路交通法のお墨付きをもらっている青い矢印に紛れて、よくわからんタイトルの動画がたくさん見つかる。なんでもいい、だいたいカッコいい音楽が鳴るので、適当に気になったものをクリックしてみることをオススメする。

あらためてライブを見て痛感したのだが、進行方向別通行区分はとにかく、「いい」。次々繰り出される「いい」が折り重って、こちらをボコボコにしてくる。暴力だ。「いい」の暴力だ。知って間もないころはどうしても楽器隊の演奏スキルに耳がいったり、ナンセンスもはなはだしい歌詞に意識が向いたものだ。しかしこのバンドの魅力というのは、もっと多様であり、かつ単純な、「いい」の集合体であるというところにあるのかもしれない。

ライブを通して気づいたのは、ボーカル・田中の歌声がとにかく「いい」ということだった。ひたすらローポジションでコードを鳴らすだけの潔い「ギターボーカル」スタイルは、その歌声を余計に際立たせているようにも思える。たとえその歌声に乗る歌詞が『珈琲 紅茶を 黄金比率で混ぜればぬるくなる』だろうが、『電話がリンリンリン 中村、中村出てこい』だろうが、関係ない。田中の歌声はそうしたオモロを華麗に乗りこなしていた。

真部、西浦、そしてベーシスト・橋本アンソニー、三名の技術はビシビシと伝わってくる。決して難解で複雑なことをしている、というわけでもない。転調だとかリズムチェンジだとかポリリズムだとか、そういったわかりやすい難しさは必要としない。ベタなフレーズを、ベタに展開して、ベタなメロディーと共に演奏する。これらを、ただカッコよく合わせる。それができるから、このバンドは「いい」のだ。

「バカと天才は紙一重」という言葉がある。ある意味彼らにも似合う言葉かもしれない。僕はここに「ベタとダサは紙一重」という急造の言葉を加えたい。サビの歌詞が『あっ、あっ、あっ、あっ、阿佐ヶ谷~!』であるということは、バカなのか、天才なのか、ベタなのか、ダサなのか。この要素単体で取り上げて評価することは、極めて難しい。メロディー、歌声、コード、リズム、同じく単体では評価しにくい要素たちと混じり合い、バンドという集合体から放たれたとき、この『阿佐ヶ谷~!』に力が宿るのだ。そしてその圧倒的な力を目の前にしたとき、僕はひたすら「いい」と言うしかなくなってしまうのだ。

念のため付け加えておくと、サビが『阿佐ヶ谷~!』の曲のタイトルは、『池袋崩壊』である。なんだそれは。




えっ、もっと書くことあるでしょ?

あるけども、書けるかどうかは別問題でしょ。




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