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さくらさく

桜はまだかと待ち望み、咲いた綺麗だと喜び、どうかこのまま散らないでと思慕する風物詩が今年もまたやってきた。ようやく外気が温もり、あちらこちらで咲く桜に心も緩んで気持ちも弾む。肩に落ちる桜の花弁ひとひらは小さく薄く消え入りそうなのに、それらが集まれば、桜の木を一面びっしり覆って、街道を奥深くまで薄紅色に染め上げる。一雨ごとにはらはらと散っていくのもまた風情があって、ついには桜の絨毯となるのもまた一興だ。
人の気をそぞろにさせる人気の桜だが、もしも、桜の花粉症だったり、花弁の集合体恐怖症だったりがあったとしたら、この季節の厄介者として扱われていたかもしれない。あるいは、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いた詩人もいたように、その妖艶さをいぶかしみ、あげつらうこともできよう。また、はかないものは何も桜ばかりでなく、他にも、むくげの花だってセミだってカゲロウだって短命なものはたくさんあるのに、ということもできるだろう。
「花は桜木 人は武士」とは、散り際の潔さを至高とした一休法師のお言葉である。桜が多くの人に好まれるのは、桜の花のドラマティックな変遷に人の生き様を重ね合わせるからかもしれない。そこに人生の美しさや、あでやかさ、繊細さ、儚さなど、色々な感情が付与され、桜を愛でながら人の世を思う、そんな優美で雅なひとときなのであろう。


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