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イデアの考察 断片 2−1 本多裕樹による

イデアの考察 断片 本多裕樹による

1、存在

 存在ということで話を進めていきたいと思います。存在と言うとここにあるとか、目で見えることで認められる世界が、または手に触れて体感できることが存在の認識なのかもしれない。存在は、とくにここまで書いてきた存在の意味は幻かもしれないということも言えるかもしれない、というのは見えない世界も存在するからで心の目で見る世界もある事を言っておきたいと思います。

 目で見えるものしか信じないという方はこの地球の方々は多いと思いますが心で見る世界もある事もある。その典型なのが数学です。数学の数字の概念は見えない知的な世界から引っ張り出して数として証明している。数学のなかでも幾何学などにおける円、三角、四角など図形は神秘主義者の中では象徴的の意味を持った記号であるのです。

 存在は見えない世界から引っ張り出し記号や言葉として具現できてそこには宇宙の法則が表出してくる。宇宙の知性の存在は生命の心から引き出し、心は叡知によって神を観るのであり、それは宇宙の法則をとおすのであり、人間の魂から、人間のこころから、生命の本当の原質である叡知が神を感じそして知性として生命活動をするためのインスピレーションが湧き出でるのであります。

 我々が見ている存在は五感で、体で感じる世界をすべてだと思う人もいるが、知性によって、叡知によって見る世界と存在、または法則もあると言いたいのです。

 われわれが生命活動をしている地球は質量の重い世界かもしれない。質量があることが存在の証明ということもある。しかし、質量を質量たらしめている法則も同時に証明される。さて、質量を持った存在を現実と言うべきか、質量が存在の証明になると言う事もできるが、何でもどんな世界でも物理においてよりどころとしているのは法則が存在する。法則もまた存在と言えるのではないだろうか。
 最近でてきた量子論や光学においても法則をよりどころにして宇宙をながれている。どこにいこうが法則があるそして知性がある。

 知と言うものも存在である。知は法則であり、宇宙の存在のことを示している。


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