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WE ARE LONLY, BUT NOT ALONE

コルク代表の佐渡島洋平さんの著書(2018年5月)

気になる言葉を拾いあげていきます。

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孤独を感じたことがない人はいないだろう。これだけたくさんの人が周りにいるのに、誰もが孤独を感じている。

コミュニティを考えることと、孤独を考えることは似ているように感じる。

自由と安心、両方を同時に得ることは不可能なのか?
「not alone」そんな気持ちにさせてくれるのは、コミュニティだけだ。

今までの物理的必然で生まれたコミュニティではなく、インターネットの中で「好き」を中心にしてできたコミュニティに可能性があるというのが、僕の仮設だ。インターネットの力は、自由と安心、両方をもたらしうるのではないか。

「なめらか」なインターネット。インターネットは、スマホによって誰もが常時接続できるようになり、一気になめらかなものへ変化した。相手は席にいるときだけつながるFAXが広がることが想像できるか?
Amzonが挑戦しているのは、「なめらか」にすることだけだ。

好きでつながるインターネット上のコミュニティ。

80歳で死ぬとき、周りに何いるだろうか?従来の世界では、会社のコミュニティと家族のコミュニティしかなく、会社のコミュニティは既に切れてしまい。家族だけのなかで死んでいく。
僕はそんな生き方は寂しいと思った。
昔の村社会では、死ぬとき周りに村人が集まって死んでいくことが想像できる。
家族以外に仲間がどれだけいるか?それが人生の喜びで幸せではないか?
(これは、賛否あると思いますが、私は賛成です。

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雑然と抜き書きしてみて感じたことを書いてみます。

個人(私)とコミュニティとの関係は、切ることができない価値あるものとしてとらえていることを前提として、この本は構成されています。

個人の差はあるので、すべての人がこれに賛同するとは思えない。しかし、私個人としては、非常に大切な部分だと感じています。
特に、これからのインターネットでのコミュニティは大切だと思っています。現在、SNSを使ったイジメなど、マイナスな側面が強調されていますが、その負の側面は技術的に解決されてくることが多いと思います。

安心と自由の両立したコミュニティへの所属は、個人のWell-beingには大切な気がします。
ここでは安心の定義をはっきりさせずに話を進めるのですが、個人的には信頼の結果としての安心なんだと思っています。
それは、恋人、家族などいう血縁や地縁でつながった(必然として)コミュニティではなく、好きが基準であつまったインターネット上のコミュニティなので基本、一定の信頼があることで、そのコミュニティは存続していくと思うからです。
一方、現在、安心できる必然的なコミュニティは、自由が制約される傾向があります。その面をインターネット上ということで、自由さを確保できるしくみができると思います。

結果、LONLY だけど、ALONEでないものがコミュニティが実現でき、そのコミュニティをいくつかに所属することで、「私のWell-being」につながる可能性があるのではないでしょうか。

ウルトラマン今昔物語は、一旦パスします。

今日はここまで。


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