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#39 書物とわたくし(3) 読書と体力、あるいは読書の体力

 ついにエルデの王になる。長い旅が終わった。

 エルデンリングというPS5のゲームの話だ。それにしても難しすぎる。何度も理不尽に瞬殺され、何度も転落死して、何度も悔しさをかみしめ、何度も挑む。攻略動画やサイトを見て、ひたすらレベル上げに励む。達成感はあるけれど、もう一方でたかがゲームなのにこれほどの努力と時間と情熱をつぎ込んでお前はアホか、という思いもある。唯一、ゲーム好きの同僚がほめ称えてくれたのが救いか。やってられるかこんなもん、という思いを抱えながらも、ほかにするゲームもないので2周目に挑んでいる。

 閑話休題。

 読書の話です。長時間どっぷり浸る、ということができなくなった。面白いとかつまらない、というのは関係ない。京極の分厚い新作が遅々として進まない。面白いのに、だ。

 若かりしころは、ずっと本を読んでいることができた。狭い部屋のベッドの上で活字を追っているといつの間にか夜が明けていた。冷房の効いた山手線で文庫本を開き、終日ぐるぐると回っていた。公園の芝生の上で陽が傾くまでずっと読みふけった。ほかにすることもなかったんだけれど。

 時間を測ったことはないけれど、近年は、短時間で本を閉じることが多い気がする。なぜなのか。

 ❶集中力の衰え ❷体力の衰え ❸理解力の衰え

 このあたりか。

 ❶ のめり込むように読むことが減った。読んでいる途中に違うことを考えたりしている。はっきりした理由は分からないが、加齢という答えしか思いつかない。

 ❷ 座ったまま、横になったまま、という同じ姿勢を長時間保つことも難しくなってきている気がする。健康診断の数値改善と体力不足解消の必要に迫られ、ここ半年ほどジムに通っている。体力については少しついてきた気がするが、読書の長さとはあまり関係ない気もしている。体力というより眼や脳の疲れか。眼はやはり疲れるので、目薬だけは高いやつを買って差してます。あとは眼と脳を休めるためにしっかり寝るべきだなあ、おそらく。

 ❸ これもまた別の問題という気もするが、明らかに難しい本が読めなくなってきている。いや、読みやすいもの以外を避けているというべきか。以前なら意味を調べて考え、分からないなら前に戻って、さらに理解すべく精読に挑む、ということを曲がりなりにもしていた。さあ読むぞ、という気力が失せつつあるのかもしれない。仕事で膨大な量の記事を読むこととは関係ない気もするが、どうなのか。京極の作品は難解なものではないが(聞いたことのない単語は山ほど出てくるが)、ちょっと間を空けると、登場人物や過去のストーリーが思い出せず、難渋する。やっぱり加齢か。




 休日の午後、積んでおいた本を開いて文字の列に視線を落とす。眼の奥がじんわりと疲れてきて本を閉じる。そしてスマホやタブレットに触れて、やがて疲れる。次にマンガに手を伸ばし、しばらくして飽きる。それじゃゲームしよ、となって興じているとまた疲れる。んじゃ銭湯に行ってくるか。人生こんなもんだという気がしてくる。これはこれで幸せなのだろう。

 老境にさしかかっているのだから、もはや苦しみながら読書をする必要もないだろう。AIとか読書会とか愛好家のサイトとか、理解の助けを借りる方法を探すのもいい。Amazonのオーディオブック、Audibleも試したことがあるけど、私が考える読書という行為とはまた違ったものだ。今よりもっと眼が悪くなったら検討しよう。

 気持ちのいい公園で折りたたみのいすを広げて。爽やかな風の吹くバルコニーのリクライニングチェアで。暖かい飲み物を用意したリビングのソファで。静かなクラシックが流れる寝室のビーズクッションで。優しい光のはいる図書館のベンチで。お気に入りの喫茶店で。なじみの温泉宿やビジネスホテルで。ゆっくり、のんびり、楽しく読書をしていこう。

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