不幸な人間にならないために。

30すぎてSNSで他人の揚げ足取ることでしか自分の機嫌が取れないなんて人間終わりだと思う。
ルサンチマンを拗らせるのは20代の内に終わらせとくべきだ。
大体そういう人間は自己評価高すぎる。
自分が思い描いている「理想的な自分の姿」とそこには到底及んでいない「現状の自分の姿」とのギャップに勝手に苦しんで、自分以外の誰かを下げて「自分はこの人よりも上なんだ」って思い込んでなんとか自尊心保ってるんだと思う。
自分は特別な人間で何者かになるべき存在であると信じて疑わなかったその自信が、年月と共に失われる若さと何も変わらない現状に焦って揺るぎ始めた時に、不甲斐ない自分に対する苛立ちを他人に向け始めるのであろう。
いい歳こいて自分の機嫌を自己完結できない人間はそういう地獄に生きている。
だって普通は他人の足を引っ張ろうだなんて思わないじゃん。
そこに快楽を見出してしまうのはハッキリ言って異常なことだと思うし、不幸な人間だと思う。
誰かに吐いた毒は着実に自分の心も蝕むし、それによって歪んだ心を矯正するにはものすごく時間がかかる。
若さゆえに他人を攻撃したくなる気持ちはわかるけど、心が歪んだままで歳を重ねてもうどうしようもなくなった時のことを考えてみて欲しい。
自分がおじさんになった時に、趣味が「誰かを叩くこと」だったら地獄すぎるでしょ。
それがもうやめたくてもやめられなくなるんだから不幸すぎる。
自分は特別な人間で、何者かになるべき存在だと信じた結果がそれだった時、俺なら絶望する。
そんなおじさんにならないためにも、自分なんてたいした人間じゃなく、特別な存在でもなんでもなくて、この世界のいちモブでしかないんだってことを受け入れることが先決だと思う。
かく言う俺も若い頃は何者かになりたかったクチだった。
自分は特別な存在だし、才能もあるし、何者かになるべき存在だと信じて疑わなかった。
でも何も成し遂げられてない苛立ちを他人に向けて傷つけたこともある。
若さゆえの過ちで俺も不幸な人間になりかけてたからこそ、自分が何者でもないただの一人の人間だという事実に向き合って、それを受け入れられた時はめちゃくちゃ楽になった。
もちろんそれにはものすごく苦痛が伴う。
自分が今まで築いてきた自信やプライドを真っ向から否定してバキバキに折る作業なわけだから。
でもその苦痛を乗り越えて現実を受け入れることが出来たときに、初めて自分のことを自分で認めてあげられた気がする。
それは間違いなく自己肯定の第一歩だったと思う。

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