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あいみょんとショーペンハウアー

あいみょんの歌で「生きていたんだよな」というのがある。

ある少女の飛び降り自殺がテーマで、タブーを恐れない歌詞にハッとさせられる。

しかしながら、次の一節は好きになれない。

 

ああ「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

 

これが飛び降りの描写だとすれば、自殺(自死)を美化しすぎではないか。

自殺者に感情移入するのは理解できるが、事後的にであれ自殺を容認するかのような表現は受け入れがたい。

こうした容認的態度は、ショーペンハウアーの「自殺について」と重なる。

もちろん時代背景は違う。

キリスト教における自殺禁止の教えにより、自殺者の名誉が剥奪されていることに哲学者は異を唱えたわけだ。

あいみょんの場合も、いわば自殺者の名誉回復といった意図があるのかもしれない。

 

だとしても、自殺せずに生きるという選択肢もありえたはずなのに、そこに触れないのは不健全に思える。

あいみょんはショーペンハウアー同様、厭世的なのだろうか?

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