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「認める」ことで人は救われる

何かのコンテストで選ばれなかったとき。自分より別の女の子が彼に選ばれたとき。橋本環奈と並ばされた時。丸の内OLと一緒に合コンしたとき。友達が上司に優遇されていたとき。就活で内定が取れないとき

こういうときに、どんな気持ちになる?

悔しい、嫉妬、悲しい、後悔とかやんな

そのあとに「自分はダメなんだ・・・」って思えへん?

自分は~より劣っているから。

丸の内OLは全身むっちゃ綺麗やし。友人は昔から人当たりが良くて、要領がいいから。

自分は選ばれないのは当たり前や。劣ってるんやもん。

そういう思考になってしまえへん?


丸の内OLがきれいだろうが、お前の友達が要領がいい人間だろうが、君はダメなんかじゃないんやで。

選ばれなかった瞬間は絶望するかもしれへんけど、それで君の価値は変動せえへんし、決められるものでもない。

誰かに張られた値札=自分の価値ではない


選ばれた奴が君より優秀なわけじゃない

いつだって、選ばれる奴=選ぶ人の需要を満たす人やねん。

つまり、選ばれたければ需要を満たすねん。

君自身の価値なんか一切問われてない。選ぶ人間の需要を満たす者が選ばれてるだけや。

何も君を測ってくれへん。


ほな、どうやったら自己肯定感ってつくんやろな?

痩せて、きれいになって、成績もよくなったら自己肯定感は上がるんか?


何よりも自己肯定感に必要なのは「自分を認めてあげること」やで。

痩せて、きれいになって、成績が良くなる➡自分の事を認めれるってだけやねん。

確かにええことやできっと。痩せる、きれいになる、成績が良くなるとかは、いつでも見て「よっしゃ、今日も自分最高やん」って確認できるからな。


そうじゃなくても、自分の事を今からでも認めてあげられる。

よう頑張った。すごい頑張ったやん!!めっちゃ偉い!!優しい子やな。素敵やな。

それとか、洗濯物干せたやん!!すごい!!でもええねん。

バカらしいって思うやろ。

世の中「洗濯物干すぐらいやれや」って思っているのに対して「洗濯物干せるのむっちゃ偉いやん!!」ってかけ離れてるもんな。

世の中の基準からかけ離れているものを認めて、褒めてはいけないっていう法律はないで。

「みんなはこう言っているけど、自分は好きだな」っていうものがこれまで何個もあったやろ?やれないはずはないねん。世の中とかけ離れている自分を褒められないはずはない。


「認める」という行為で人は救われる

それは、他人からも確かにもらえるけど、他人が認めてくれるかどうかは他人様の機嫌や。

だから自分で「認める」という行為を自給自足できたら、もはや無敵やで。


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