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日本のCSRの歴史

日本においてCSRという言葉が本格的に用いられるようになったのは2000年以降である。しかし、それ以前にも様々な社会問題や環境問題が生じており、その際には企業に何らかの責任があるのではないかということは議論されてきた。ここでは日本のCSRの歴史を簡単に振り返ることにする。

戦後の日本におけるCSRに関する問題の一つに、労使間紛争があげられる。例えば、三池争議や日産争議、王子製紙争議など、大企業における企業別組合による対抗的労働運動が1950年代に起こっており、現代的日本的労使関係の諸萌芽が新たに形成された時期と言われている (西成田, 1995)。一方、こうした労使間の緊張関係は60年代から70年代にかけて協調的労使関係へと移り変わり、協調的企業別組合という日本企業特有の経営スタイル確立へと結びついていった。

また、1970年代には公害問題が発生しており、水俣病(新日本窒素肥料)・第二水俣病(昭和電工)・四日市ぜんそく(石原産業、中部電力など)・イタイイタイ病(三井金属鉱業)の四代公害病は全て高度経済成長を背景にした企業の経済活動によって引き起こされたものであった 。しかし、石油危機以降、日本経済は低成長時代を迎えることになり、社会的責任の遂行といった側面は影をひそめることになった (岡本・梅津, 2006)。

1980年代において、日本は平成景気・バブル経済を背景に世界的な経済大国へと成長をとげた。この時期において、企業はメセナ(文化支援活動)フィランソロピー(社会貢献)活動などを行った (加賀田, 2006)。 例えば、経常利益の1%相当額を社会貢献活動に充当する経団連の1%クラブの設立や、その他学術・教育・文化・芸術・医療・健康・福祉・地球環境保全、国際交流などへの支援活動が活発した (岡本・梅津, 2006)。しかし、こうした活動はバブルの崩壊とともに下火となり、一過性のものであった。

1990年代になると、米国のエンロンやワールドコムの不正会計処理及び破たんを巡る事件や日本国内における雪印や三菱自動車などの違法行為・不正行為の発生により、企業に対する世間からの視線が厳しくなっていった。また、90年代以降、環境破壊、人権、貧困、紛争、差別など、グローバリゼーションの進行する過程で生じる様々な問題に関する国際的な議論が進展する中で、これらの諸問題に関する企業の責任と、その解決のために企業の積極的な対応を強く求める動きが国際社会の様々な機関・組織からみられるようになってきた (加賀田, 2006)。こうした流れを受けて頻繁に取り上げられるようになった用語が「持続可能な発展」「サステナビリティ」であり、企業はトリプル・ボトムラインという考えのもと、経済だけではなく社会や環境にも配慮した経営を考慮し、将来世代に対する世代間公正を保証しつつ現代において経営を行わなければいけないことが説かれるようになったのである。

2000年代になると、日本企業は経済的利益だけでなく、社会的な責任を果たすべく経営をより強く推進するよう促されるようになる。とりわけ、企業内に「環境・CSR戦略室」や「CSR室」といった専門部署が設けられるようになり、主要国首脳会議(エビアン・サミット)でCSRがG8宣言の経済課題に盛り込まれるなど、2003年はCSR元年と位置づけられるようになったのである (岡本・梅津, 2006)。

2010年代はCSRが企業に浸透し、国際的にも様々なガイドラインが作成されている時期である。この意味で、CSRはメセナやフィランソロピーとは違い、一過性のブームとして終わることはなかったと言える。2010年代においては、ISO26000という社会的責任に関する国際ガイドラインが発行されたほか、統合報告書作成のためのフレームワークが提示されたこと、日本版スチュワードシップ・コードの発行コーポレートガバナンス・コードの発行があげられる。さらには、国連が持続可能な開発目標 (SDGs) を採択するなど、CSRに関する活動がますます企業に求められるようになってきていると言える。

References

岡本大輔, 梅津光弘 (2006)『企業評価+企業倫理: CSRへのアプローチ』慶應義塾大学出版.

加賀田和弘 (2006) 「企業の社会的責任(CSR) : その歴史的展開と今日的課題」『KGPS review : Kwansei Gakuin policy studies review』7, 43-65.

西成田豊 (1995)「日本的労使関係の史的展開 (下): 1870年代〜1990年代」『一橋論叢』114(6), 975-995.

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