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新年度の始まりに思うこと

日本の学校カレンダーでは、いよいよ今日から新しい一年が始まる。
コロナの最中であったか、日本も年度の始まりを9月からにしようではないかという議論が再燃したことがあったがいつの間にかそれも立ち消えた。
アメリカなどは9月始まり、オーストラリアやニュージーランドオセアニアは2月始まり・・・
どうも夏休み明けから新年度が始まるのが世界的には多いみたいだ。

とにかく世界の主流に合わせようともともと始まった議論が、コロナで学習進度が遅れたことが問題になり、このままでは受験に間に合わないからと、いっそのことこれを機に変えてしまおうというような感じで文科省でも真剣な議論はあったようだった。留学もしやすくなるし外国人学生の受け入れにも良いことではないかと。

個人的にはせっかく日本には桜の季節に新たな門出を祝う伝統があって、それはとても素敵な文化だと思うので、それを無くしてまで世界基準に合わせるほどの価値はないと反対派です。
変わらなくて良かった。

とにかく今日から新しい一年だ。
田舎にある、いち幼稚園の園長だけれども、幼児教育の上につながる学校を作りたいという思いをもってもう10年以上やってきた。
ある意味、悩み、苦しみの連続で、特に昨年度は色々と辛い思いが多かった一年だった。
正直「もうダメなのではないか」と何度か思った。

それでも、まだ「しつこく」、やろうとしている自分がいる。
白旗をあげて、みんなを失望させるくらいなら死んだ方がましだ。

そして改めて考えてみる。なぜ続けようとしている自分がいるのか。
それはそこに希望(Hope)があるからだ。
日本の教育を変えたい、変えられるはずだと思う希望があるから、まだここにいるのだ。

IBはコロナの時期から、Festival of Hopeというイニシアチブを始めた。
日本ではあまり知られていないが、世界のIBスクールの学生たちが、コロナによって閉塞感におおわれた世の中を変えていこうと、色々なアイデアをだしあってイベントを行ったりしてきた。

背景は、コロナになって、希望を失ってしまった人が多かったからだ。
希望がなくなることを絶望という。

しかし、つまるところ我々を動かすのは「希望」であり、変えていきたいと願う思いだ。
サブタイトルの Choose Change とは、変えることを選ぶということ。

とは言え、冒頭の話のように、変えてみようかと考えた上に変えないと決めることもあっていいので、変えることを選ぶというより、
「変えようとしてみることを選ぶ」という表現がよりいいのかも知れない。

それにしても現実は厳しい。
厳しい現実にぶつかり続けているのはもちろん自分だけではないとわかってはいても、時々鼻っ柱を殴られる感覚に見舞われると萎えてしまう。
歩みが止まるどころか、セットバックといって、後退することもある。

それでも、自分は、この学校、職員と生徒たちの姿から見えてくる「希望」を保護者の皆さんや支えてくれる多くの人たちと共有したい。

自分の勝手な解釈ではあるが、
希望の希は「まれ」という意味もあるらしいから、簡単に叶うものでは多分ない。
希望の望は、「望む」ことだから、いかに強くその実現を願えるかという意味もあるはずだ。

この新年度の初めに、自分の心にあるのは唯一、HOPEだということを職員、生徒、そして関係する多くの人に知ってほしい。

(追伸)
うちの小学部のクラス担任をしている地下(じげ)先生も自分の学びを多くの人に知ってもらうためNoteを書いています。この機会に紹介させてもらいます。彼のような情熱にあふれた教員がうちにはたくさんいます。

※毎週月曜日に新しい記事を投稿する予定です。良ければフォローして最新記事や過去記事をご覧ください

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