自責と自省

自尊心の低い人は自分が失敗をした時に自分を過剰に責める傾向にあります。
あるいは、自分を責める気持ちから逃れる為に失敗を認めようとせず失敗なんてそもそもしていないというスタンスを取りがちです。
今回はそのような自責の人の心理について書いてみたいなと思います。

しかし何故自尊心の低い人は自責の念が強くなるのでしょうか。
それはそもそも何故自尊心が低いのか?という所を掘り下げていくと正解が見えてくる場合が多いです。
自尊心の低い人というのは多くの場合は幼少期における親との関係に問題がある場合が非常に多いです。
(僕のnoteをよく読んでいる人には馴染みのあるお話かもしれませんね)

まず親が失敗に対して寛容であるかどうかという所は大きく関係しているでしょう。
もっと言うのであれば、失敗しても何があっても自分は愛されるという感覚を子供に与えてくれる親なのかが非常に重要になってきます。
自責の人というのは幼少期などに自分が失敗をしたら親に見捨てられるというような心理状況に置かれていたのではないでしょうか。

幼い子供にとって親に見捨てられるという事は大袈裟ではなくを意味します。
その為、常に親に見捨てられるリスクを感じながら生きるという事は常に死と隣り合わせとも言えるでしょう。
その状態では親に子供らしく素直に甘えたりワガママを言う事は難しいでしょう。
よって心理的に抑圧された状態になります。

このような抑圧状態において人間が自尊心を獲得する事は困難でしょう。
抑圧状態というのはありのままの自分では愛されないという刷り込みに囚われている状態で極端に言えばその思考に洗脳されているとも言えるでしょう。
その為、彼らには自分に少しでも悪い部分があると自分に価値がないという発想になる完璧主義傾向があります。
部分否定に対して存在価値の否定として受け取る強い認知の歪みがあるのです。

完璧主義が良くないというのはよく聞く話です。
しかしただ単に彼らに完璧主義は良くないよと言ったところで何の意味もありません。
何故なら完璧主義は自尊心が低いなどの精神の核の部分に問題を抱えていたりする場合にどうしても発生せざるを得ない感覚だからです。
人間というのは条件が揃えば完璧主義にならざるを得なくなるのです。

対人関係の基盤というのは親とのコミュニケーションによって作られます。
つまり親に対してありのままの自分では愛されないと感じて抑圧状態にあるという事は他の対人関係においても同じような感覚に囚われてしまう事を意味します。
よって、このような人たちは対人関係においていつ人から責められるか分からないしいつか人に見捨てられるかもしれないという強い恐怖によって支配されてしまうのです。

そして何よりもたちが悪いのは、自責の人は自省する事ができないということです。
最初に書いた通り、彼らは失敗をした時に自分を責めて責めてボロボロにするか、あるいは失敗そのものを認めない傾向にあります。
それは明確に自省とは違うのです。

自省とは決して自分を責めて追い詰める事ではありません。
自分の言動の良くなかったところを事実としてしっかりと受け止めて反省するのが自省です。
悪いところを事実として受け止める過程で責める必要というのは全く必要ないのです。
自責の人は責める事や責められる事への逃避にばかり労力を費やしてしまうので、悪い部分を受け止めるだけの余力がないのです。

また自責の人は周りの人から見ても責任を問いづらくなる側面があります。
本人が自分を責めている状態でそこにさらに責任を求める人というのは少ないのではないでしょうか。
しかし自責の人は自省かできていないので、結局のところ同じ過ちをまた繰り返してしまう可能性か非常に高いのです。

ハッキリ言うと自責をする事は本質的には何の意味もないのです。
意味がないと頭で分かっていたところで自責からなかなか抜け出せない人も多いかと思いますが、自責ではなく自省の方向に向かう必要があるという事は頭の片隅に入れておいた方がいいんじゃないかとそう思います。

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