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Q:結局、一言で言うとIBのMYPってどのようなものですか?(3)

A:「答えがすでにある問い」だけでなく、正解がはっきりしないものに対してどう答えを出していくかを探究する学びを重視します。

(*以下も含め、2022年度校内向けの通信3月に書いたものです。) 


 この「IBQ&A」も今年度最後です。
 40回も書いてIBのことをうまく伝えられないので、なんとか「結局、一言で言うと?」という問いに答えようと試みることにしてみました。
 前回まで2回、「つながり」ということで書きましたが、試みが成功した手ごたえは感じられていません。
 今年度最後に、別の伝え方を試させてください。

★RADWIMPS「正解」

 先日、中学校の卒業式がありました。入学式後に引き続いて、卒業生たちがRADWIMPSの「正解」を合唱していました。

鹿児島修学館中学校卒業式(2023年3月)

  聴きながら、「彼らはまだこの歌詞に違和感は全くないのかな?」と思っていました。
 特に、歌詞の中に繰り返し出てくるこのあたりに対してです。

あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない

         ~~ ~~ ~~

あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解など大人も知らない

         ~~ ~~ ~~

あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ だけど明日からは
僕だけの正解をいざ 探しにゆくんだ また逢う日まで

野田洋次郎「正解」(2018)より

   この歌詞は、学校では「答えがある問いばかりを教わる」ということが前提になっています。
  そして、答えのない問いに対して「僕だけの正解を」探し始めるのは学校を卒業してからなのだと書かれています。
   
   一方、IB教育は「答えがすでにある問い」だけでなく、正解がはっきりしないものに対してどう答えを出していくかを探究する学びを重視します。

  だから、MYPのトライアル授業で部分的にIBの学びに触れてきた中学3年生がこの歌を歌っているのを聴いていて、「まだこの歌詞に何の違和感もないかな?」と思っていたのです。

  IB認定校になってもう何年も経つ学校の卒業式でこの曲を歌うと、生徒たちは歌詞に違和感をもつだろうと思います。
「いや、答えがある問いばかりではなかったけど、、、」と。

  今年度の中学2年生、中学1年生は、段階的にMYPのトライアル授業の割合を大きくしてきました。学びの中身も「答えがある問いばかりを教わる」よりも、「正解などまだ銀河にもない・大人も知らない」問いに向き合う探究が増えていきます。
(中高の学びが、大学以降の学問や研究に近づくという言い方もできます。)

★「正解のない問い」に向き合う中学1年生の姿✨✨✨

↓ (2023年10月追記)
 今年度中学1年生の「いじめについて考える」のふりかえりでは、こういう記述も出てきました。 

道徳の授業「いじめについて考える」ふりかえりより 2023年度 中学1年生 

世界をわかろうとする努力は大切である、でもわかってしまってはいけない」という養老先生のことばを体現するような姿だなぁと感じます。
(* ↓ こちらの記事参照)

  修学館でこれからIB教育が定着し、生徒の学びの質が変わっていくと、この曲を歌ったり聴いたりすると、きっと「ああ、昔の学校教育についての歌詞ね」と感じるようになるのだろうと思います。

★「答えがすでにある問いなんかに用などはない」のか?

 ひょっとしたら、歌詞の中の「答えがすでにある問いなんかに用などはない」という部分にも自分なりの考えをもつ生徒も増えてくるかもしれません。
 
 「正解のある問いにも挑めないのに、正解のない問いに挑めるのか?」
   
 探究的な学びについて考える時によく投げかけられる問いです。
「正解のない問いに根拠ある答えを出していく方が難しいのだから、学生時代は正解のあるテストで『基礎・基本』を身につけ、大人になって応用すればよいのではないか」、
「今までの教育だって、そうやって大人になってからで間に合ってきたではないか」
という考えもあります。

  最後に、答えのない問いです。

「答えがすでにある問いなんかに用などはない」という歌詞について、
どう考えますか?

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